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私が、一番最速で、一番イヤな奴になったと思います

――周りのスタッフさんたちとの関係はいかがでしたか?

牧野 まぁ、生意気でしたね。たぶん、私が今まで指導してきたアイドル達も含めて、一番最速で、一番イヤな奴になったと思います。

 はじめは純粋に頑張るつもりだったんです。でも、まぁ芸能界に入るとチヤホヤされたんですよ。売れてもないのに。特に私が所属していたレコード会社は、元々演歌歌手を中心にやっていて、初めて10代のアイドルの女の子をデビューさせることになったんです。

 アイドルの扱い方も慣れてなくて、私が挨拶周りに行くとなったら、いつもおじさんたち10人くらいがゾロゾロついてきて、荷物を持ってくれたり、アイスクリームを用意してくれたり、とにかくチヤホヤされました。

 はじめは「わぁ、すみません!」なんて言ってましたが、次第にそれが当たり前になってくるんです。そのうち何もしてもらえないと、なんてこの人は気が利かないんだろう。なんで仕事取って来ないんだって言い出すようになって。自分が嫌いな人には無視するし、態度も悪いし、努力もしない。マネージャーさんもすぐに辞めていきました。

――その後、なぜ早々に沖縄に帰ることになったのでしょうか。

牧野 デビューから1年くらい経ったとき。レコード会社に行ったら、急に誰も挨拶してくれなくなったんです。「アンナちゃん!」って声を掛けてくれていた人たちが一斉に無視。動揺していたらスタッフに呼ばれ、これから売り出すという新人の子を紹介されました。

 その日を境に、今まで私についてくれた人たちが全員その子についたんです。そこで、やっと自分の未熟さに気づきました。

 父に話をすると、このまま事務所にいても飼い殺しになるだけだと。レコード会社とプロダクションも契約途中でしたが、父が話をつけて辞めさせてもらいました。その後、沖縄に帰ってアクターズに戻ることに。再度タレントを目指しつつ、生徒の指導役も担うことになりました。

――牧野さんが沖縄に戻ってしばらくすると、安室奈美恵さんが友達の付き添いでアクターズスクールにやってきたそうですね。

牧野 父が事務所の前をスッと歩いていた奈美恵を見て、「この子だ!」って。奈美恵が帰ろうとした瞬間、「連れ戻して来い!」って言うんです。追いかけて奈美恵を連れてきたら、授業料はいらないからアクターズに入りなさいと。

 父は奈美恵の歩き方を見ただけで、俺は日本人でこんな歩き方ができる子は見たことない。この歩き方をする子が歌えないはずがない。体もバランスも含めて、絶対この子はすごくなる! と断言したんです。

2024.02.29(木)
文=松永 怜
撮影=佐藤 亘