この記事の連載
- 牧野アンナインタビュー【前篇】
- 牧野アンナインタビュー【中篇】
- 牧野アンナインタビュー【後篇】
90年代を中心に安室奈美恵やSPEED、DA PUMPほか、次々とアーティストを輩出した沖縄アクターズスクール。飛ぶ鳥を落とす勢いでヒット曲が続き、歌にダンスに観るものを魅了し続けた。
その中で、アイドルを夢見て2度のチャンスを手にしながら表舞台から裏方に回った一人の女性がいる。アクターズスクール創業・マキノ正幸さんを父に持つ、牧野アンナさんだ。
父であるマキノ正幸さんは、マキノ映画の創始者であるマキノ省三を祖父に、映画監督のマキノ雅弘、俳優の轟夕起子のもとに生まれ、長門裕之と津川雅彦とは従兄弟関係という、まさに“芸能一家”の中で育った。1983年に沖縄アクターズスクールを開校すると、その審美眼で安室奈美恵のカリスマ性を見出した話は広く知られている。
牧野さんはそんな個性あふれる父親との関係性に葛藤を抱えながら、自らの舞台での活躍を望みつつ、安室奈美恵の圧倒的な存在感、一気にスターに昇り詰める姿を目の当たりにして何を思っていたのか。
《中篇を読む》なぜ20年の絶縁生活になったのか 牧野アンナが語る沖縄アクターズスクール創設者である父との関係
《後篇を読む》「世界に通用するグループを」沖縄アクターズスクールを再始動した牧野アンナが沖縄から”目指すもの”
――11歳でアクターズスクールに入ると、お父さまのことを校長先生と呼ばれていたそうですね。父と娘の関係は変化しましたか?
牧野 師弟関係のようになっていきました。父は破天荒な性格で、彼女もたくさんいたし、月に1、2回しか帰って来なかったんです。父とは雑談することもなくなりました。
――アクターズスクールでは、お父さまは牧野さんに対して他の生徒より厳しくあたることも多かったそうですね。
牧野 スクール内の緊張感を持たせるときに、よく利用されていたました。たとえばみんなでイベントに行ったとき。
小学生同士で喧嘩が始まって、みんなが泣いたり騒いだりしている中で、私だけ引っ張り出されて、みんなの前で引っぱたかれたことがあったんです。周りもハッ……! と驚いて喧嘩が止まりましたが、私は怖くて泣き止むことができず、私が泣き止むまで叩かれ続けて。周りの大人たちが慌てて止めに入りましたが、そういったことがよくありました。
いつか殺してやりたい……! 夜な夜なそんなことを考えていましたね。
――その後、牧野さんが14歳のときに沖縄から上京、15歳でデビューされました。
牧野 親戚に津川雅彦さんがいて、津川さんの家に居候してレッスンに通いながら、オーディションを受ける生活になりました。
しばらくして、ドラゴンクエストのゲームソフトのキャンペーンソングを歌うお話があって、デビューが決定。そのまま順調にいくかと思いきや、2曲目から全然売れなかったです。
2024.02.29(木)
文=松永 怜
撮影=佐藤 亘