この記事の連載

 90年代を中心に安室奈美恵やSPEED、DA PUMPほか、次々とアーティストを輩出した沖縄アクターズスクール。指導役として活躍した牧野アンナさんは、アクターズスクール創業者の父・マキノ正幸氏とスクールの方針の違いや、親子関係が悪化し約20年の絶縁状態に入る。

 同族経営で固められていたアクターズスクールの中で、子どもの頃からどんな葛藤を抱えてきたのか。また、絶対的な存在だった父が急激に弱っていく様子をみながら、今思うこととは。

《前篇を読む》「死ぬほど頑張りました」スーパーモンキーズとしてデビューした牧野アンナが脱退を決めた理由
《中篇を読む》なぜ20年の絶縁生活になったのか 牧野アンナが語る沖縄アクターズスクール創設者である父との関係


復活祭が終わった日にISSAたちが「みんなでやろう」と

――約20年絶縁状態だったお父さまと再会されたそうですが、なにかきっかけがあったのでしょうか。

牧野 コロナ禍に入ってしばらくすると、妹から父の体調が悪いと兄に連絡が来たので、一回父を訪ねることにしました。

――アクターズ大復活祭の話は、再会をきっかけに出たそうですね。

牧野 アクターズは今まで沖縄に貢献してきたし、何かイベントをやることで元気になってくれるかもしれないと思ったんです。

――大復活祭の後に、アクターズの再始動も決まったそうですね。

牧野 元々一日限定でしたが、復活祭が終わった日にISSAたちが来て、「絶対にアクターズをやった方がいい。アクターズの教えは残すべきだし、アンナさんがやらないなら誰かに継承した方がいい。それに、アンナさん一人じゃなくてみんなが応援するし、みんなでやろう」と言ってくれたんです。

 これはもう流れがきているなと。父が体調を崩して再会して、大復活祭がめちゃくちゃ盛り上がって、みんながここまでアクターズを望んでくれる。

 もう運命だと思って、翌日朝10時には父のところに行って、アクターズを引き継ぐことを伝えました。

2024.02.29(木)
文=松永 怜
撮影=佐藤 亘