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これからは世界に通用するグループを日本で作っていきたい

――お父さまと約20年絶縁していた期間も経て、お父さまに対して感情の変化はありますか? 

牧野 絶縁する前は、父の教えが全てでした。実際、父の言うことがことごとく当たっていて、(安室)奈美恵のスター性を見抜き、私は人前に出るより指導者が向いていると早々に気づき、私以上に私のことをわかっていた。父がアクターズスクールを築きあげて、この人の言うことを聞いていれば間違いない。たぶん、父に認められたい一心で動いていました。

 でも今は違いますね。父に認められたいという感情はなくなりました。だから…、難しいんですよね。尊敬もするけど軽蔑もする。大好きだけど大嫌いといった、両方の感情があるんです。人間的に欠落しているところや平気で人を傷つけることも言うし、感情がいったりきたり忙しい。

 あと、自分にも反省があって、父と喧嘩してでも意見を言っていたら、こうはならなかったのかもしれないと思うことはありますね。

――ところで、安室奈美恵さんが活躍されると、韓国からアクターズスクールの視察にきていたそうですね。

牧野 当時は日本が一歩リードしていたんです。韓国のプロデューサーが、なんで安室奈美恵のような子を出せたのか。どんな育成をしたのかと視察にきて、追われる側にいたはずなんですよ。でも、日本はどんどん育成することがなくなっていきました。

 一つはAKBのように、大人数で可愛い子たちを集めて、握手会をしながらCDを売るようになりました。育成は時間も労力も掛かるので、人を一気に集めて一気に売った方が楽なんです。そのシステムがうまくいくと他でも同じような形になって、ちゃんと歌って踊れる子が育たなくなる。

 日本で芸を磨いてデビューしたい子が居なくなっている間に、韓国が徹底的に技術をあげてきたんです。韓国のアーティストのように、歌って踊ってカッコいいと憧れる子たちは、みんな韓国に行ってオーディションを受けます。日本人もK-POPのグループの一人として出ていくので、どんどん才能が流出していく。

 みんなで育てて、若い子たちがカッコいい! と憧れるグループを作ることによって、そこを目指す子たちが出てくる。アジア人が世界に通用することはK-POPの人たちが証明してくれたから、日本人もそういう才能がないわけじゃない。育成システムがなかったこともあるので、これからは世界に通用するグループを日本で作っていきたいです。

――デビュー後も、長く活躍できるシステムもあるといいのでしょうか。

牧野 スターを出した後も子どもたちを守れる環境、使い捨てにされずに、子どもたちが最後までこの世界で全うできるような環境を作りたい。

 結婚や出産、それに怪我。途中で休んでしまうと、自分が居なくなった瞬間に違う人が出てきて、自分が帰る場所が無くなってしまう恐怖もある。そうではなくて、グループで居場所をキープしておいて、年齢が上がったら一旦プロデューサーの役割をしてもいいし、大人になっても守ってあげられたら孤独にしなくてすむ。

 芸能界で戦っている子どもたちを守れる仕組みを作りたいと思っています。

牧野アンナ(まきの・あんな)

1971年12月4日生まれ。東京都生まれの沖縄育ち。沖縄アクターズスクール代表取締役COO兼プロデューサー。LOVEJUNX代表。父・正幸は安室奈美恵などを輩出した沖縄アクターズスクール創設者。

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2024.02.29(木)
文=松永 怜
撮影=佐藤 亘