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 90年代を中心に安室奈美恵やSPEEDほか多数のアーティストを輩出した沖縄アクターズスクール。一度は安室奈美恵らと共にSUPER MONKEY`Sのメンバーとして舞台に立つも、安室との実力の差を痛感して早々にグループを脱退したと語る牧野アンナさん。

 その後はアクターズスクールに戻り指導役として注目されるが、時代の変化と共に徐々にアクターズスクールの人気も低迷していく。また、今まで絶対的存在であった父と娘の関係にも亀裂が入り、約20年に及ぶ絶縁状態を経験。一方で、24時間テレビにも出演した、ダウン症の子どもたちとのダンス教室、LOVEJUNXをスタート。新たな道も開拓していく。

《前篇を読む》「死ぬほど頑張りました」スーパーモンキーズとしてデビューした牧野アンナが脱退を決めた理由
《後篇を読む》「世界に通用するグループを」沖縄アクターズスクールを再始動した牧野アンナが沖縄から”目指すもの”


寛子は3、4歳で髪をかき上げながら歌っていた

――SUPER MONKEY’S脱退後はアクターズスクールの指導者として活躍。SPEEDも指導されたそうですが、メンバーの印象はいかがでしたか?

牧野 (島袋)寛子は、3歳くらいからアクターズの幼児クラスにいて、最初から歌がうまいんです。工藤静香さんの歌を、3、4歳で髪をかき上げながら大人顔負けで歌っていて、あぁ、歌える子って本能で歌えるんだって思いました。

――指導する前から才能があったと。

牧野 (今井)絵里子は4歳くらいのとき。(安室)奈美恵が出ていたカラオケ大会に絵里子も出ていて、奈美恵を見てびっくりして、「私もあのスクールに入りたい!」と言って入ってきました。

 アクターズでは、自分でダンスの研究をしたり、周りの先輩から技術を盗んだりしながら自分のスタイルを作り上げていきますが、絵里子はその才能がすごいんです! 一時期、奈美恵の立ち姿から歌っている仕草まであまりにも似すぎていて、SPEEDのデビューが決まったとき、父に大丈夫ですかね……?って、聞いたくらい。

 父は、奈美恵のコピーをこんなにできるのは才能だし、これは通過点だから大丈夫。本人の意志もハッキリしていて、この先もっと自分を出していくから心配ないと言っていたら、まさにその通りでした。

 絵里子は昔からメンタル強かったですね。アクターズの子は学校でイジメられる子もいたんですけど、絵里子は学校で何か言われても言い返していて、あの子の強さは子どもの頃からだと思います。

 (上原)多香子は天然なのかな。(新垣)仁絵が年齢も上だし、一番大人だったように思います。

2024.02.29(木)
文=松永 怜
撮影=佐藤 亘