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レッスン以外、自分の部屋から出られないように

――アクターズでも、気づきの影響はありましたか?

牧野 父は、自分の考えをインストラクターたちに植え付けましたが、私は自分の考えが全てじゃない。何かあればみんなで話し合うスタイルを作っていきました。

 でも、父が横浜アクターズの様子を見に来たとき、生徒の一人が父に意見を言ったんです。父が速攻「クビだ!」と告げたとき、私が自由に発言していいと言ったからこうなった。もう、アクターズにはいられないと思いました。

 ただ、自分がアクターズしか知らないので、辞めたくても何をしたらいいのかわからない。今思えば鬱に近かったと思いますが、レッスン以外、自分の部屋から出られなくなって。数カ月はずっと泣いていましたね。

――その頃、ダウン症の子どもたちの舞台の演出のお話が来たのでしょか。

牧野 アクターズの業務と並行して、ダウン症の子のイベントの演出を依頼されました。半年間限定の約束でしたが、イベント終了後も、ダウン症の子のお母さんたちがレッスンを続けてほしいと仰ってくださったんです。やりたいことがわからなかった自分にとって、光が見えた気がしました。

 結局、アクターズを辞めてダウン症の子どもたちのレッスンをやっていくことに。父は、応援はするけどアクターズを辞めたやつとはつるむなと。でも、これからは自分の意志で動いていく。アクターズを辞めた子たちにも一気に連絡を取ったし、なかにはダウン症の子どもたちのレッスンを手伝ってくれる子もいたんです。

 しかし、その話が父の耳に入ると「アンナとは絶縁だ」と。私にも父が怒っているらしいと耳に入って、父とは直接話をしないまま、静かに絶縁していきました。そこから20年ですね。

――20年間、一度も連絡をとることはなかったのでしょうか。

牧野 正確には絶縁して8年経ったときに会いに行ったんです。妹から、父が会いたがっていると言われて行きましたが、結局大喧嘩になってしまって。そこからはお互い意志を持って絶縁しました。

牧野アンナ(まきの・あんな)

1971年12月4日生まれ。東京都生まれの沖縄育ち。沖縄アクターズスクール代表取締役COO兼プロデューサー。LOVEJUNX代表。父・正幸は安室奈美恵などを輩出した沖縄アクターズスクール創設者。

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2024.02.29(木)
文=松永 怜
撮影=佐藤 亘