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父の考え方が絶対じゃない。そう気付いていったんです

――アクターズ出身の方々の活躍が続く中、次第に経営が厳しくなったと聞いています。

牧野 アクターズが良かった時期って2、3年くらい。父が周囲とうまくいかなくなり、徐々に業界から干されていったんです。

――お父様の興味も教育方面にいかれたそうですね。牧野さんが残った生徒たちを見ていたとか。

牧野 アクターズからデビューすることも厳しくなって、表舞台に立つ以外に、照明や音響、編集などできることはないかと模索しながらショーを作ることにしたんです。父にもお願いしてショーを観に来てもらいましたが、これがダメだった。

 「ショーのレベルが低すぎる!」と逆に怒りを買うことに。インストラクター達を集めて、アクターズのレベルが低くなったのはアンナのせいだと言うんです。しかも、父の発言に誰も反応しなかったのが更に怒りに火を注ぎ、「お前らはアンナ派なのか! それなら俺は今日で辞める!」と言って出て行っていってしまいました。

 急に父と敵対する立場に置かれて戸惑いましたが、とにかく父に頭を下げて、翌日もアクターズに来てもらうようにお願いして。

 翌日は、全員空気を察して父側につくことに。父は0か100の性格なので、「俺に着くということは、アンナは敵だ。一人一人、アンナの嫌なところを言ってみて」と言い、みんなも流れに同調しました。私も「自分のやり方がよくなかったです」「無意識にアクターズを乗っ取ろうとしていました」とひたすら土下座をしました。そうしなければ終わらないんです。

 その結果、父がこれからアクターズを見る。私は生徒が減少している横浜のアクターズに異動を命じられました。

――かなり激しい展開ですが、横浜に異動後はいかがでしたか?

牧野 大きな転機になったというか…。今までは、自分はアクターズしか見ていなかったけど、東京では誰もアクターズなんて見ていない。

 父が芸能界で「ダメだ」と言ってた人は全然ダメじゃなかったし、長年活躍している人が、どれだけすごいのかも分かりました。父の考え方が絶対じゃない。そう気付いていったんです。

2024.02.29(木)
文=松永 怜
撮影=佐藤 亘