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その日、とあるメニューが…

 ただし、吐き気さえおさまってしまえば、次のエンドキサンまでの約1カ月は穏やかな入院生活です。心臓と肺が回復傾向にあったこともあり、身体も少しずつ楽になりました。横になって眠れるのがこんなにうれしいなんて。当たり前のことが、とても気持ちよく感じられました。食欲も旺盛でした。

 にもかかわらず、私の食事は制限食でした。メニュー表に書いてあるおかずが、時々、違うものに変えられているのです。ハンバーグがはんぺんになっていたり、肉豆腐から、シンプルに肉が抜かれていたりしました。別の何かを入れてくれるサービスはないんだ?

 ある日のメニューは「三色丼」でした。響きだけでおいしそう。献立表で見かけた時から楽しみにしていました。多少、具材が変えられていたとしても三色丼ならおいしそう。他の患者さんたちのテーブルに運ばれた「鮭、肉そぼろ、卵」の三色丼を見て気分が上がります。

 ……が、次の瞬間、私のテーブルに「人参、おから、グリンピース」で構成された三色丼が置かれました。入院で不安定になっていたのでしょうか、この時は涙があふれました。大の大人が、三色丼に涙したのです。当時は誰に話しても笑われたのです

 が、それくらい、それっくらい、長期の入院患者の楽しみってごはんしかないんです。

「三色丼がぁ~、私の三色丼がね~」

 と友人に泣きながら電話する中高年。受話器の向こうからは失笑しか聞こえてこない。思い返すと、おかしいやら、哀れやら。

 でも今でも思い出して言いたくなりますよ。「そこまでして3色にこだわらなくてもいいわ!」って。

2023.12.02(土)
著者=後藤邑子