『火群のごとく』の一件の影響を受け、家族を失った千代(七緒の兄・生田清十郎の娘)は、叔母を頼り、尼寺の清照寺の世話になっていた。大火の罹災者を受け入れた清照寺で、独楽鼠のように働く千代。そこに若い武士がやってきた。食料を始めとする、必要な物資を用意するというこの武士こそ、今は樫井透馬に仕える新里正近(林弥)である。十四歳の千代から見れば、頼りになる大人だ。とはいえ大人の社会では、まだヒヨッコに過ぎない。それは透馬も同様だ。筆頭家老の後嗣ということで、執政会議の末席に連なるが、発言権はほとんどない。藩の指導者たちの動きの鈍さに怒りながら、自分の家の蔵を開け、独自に罹災者の救済を始める。その手足となっているのが、正近や、やはり透馬に仕える山坂半四郎(和次郎)なのである。そして被災地の視察などをしているうちに、正近たちは大火が付け火ではないかと疑うようになるのだった。

 一方、死の寸前の罹災者から、大火が付け火だと聞いてしまった千代。これにより彼女は命を狙われる。千代の件や、『飛雲のごとく』で正近が知り合った女性の件から、やがて大火の醜悪な真相が浮かびあがるのだった。

 兄の死の真相が重要な読みどころになっていた『火群のごとく』を見ても分かるように、「小舞藩」シリーズは、ミステリーのテイストが濃い。その中でも本書は、もっとも真相のインパクトが強いといえるだろう。終盤で立て続けに暴かれる真相。付け火の動機は、あまりにも卑小だが、切実なものである。詳細は省くが、シリーズものだからこそ、驚きは大きい。そして大人の道を歩む正近たちとの対比で、犯人の悲しみが際立つのである。

 ただし本シリーズの最大の注目ポイントは、やはり正近の成長だ。兄の死を切っかけに、藩の権力抗争に巻き込まれながら、少年から大人となった正近。しかしまだ藩を動かすだけの力はない。一途な性格だが、身の近くに闇のある正近が、社会の汚さを理解しながら、自分たちはそれに染まらずに生きていこうとする。藩を変えるということは、政治にかかわるということであり、清らかに生きていくのはまさに茨の道だ。その道が本書で、鮮やかに示されているのである。

2023.06.27(火)
文=細谷 正充(文芸評論家)