『ペットロス いつか来る「その日」のために』(伊藤 秀倫)
『ペットロス いつか来る「その日」のために』(伊藤 秀倫)

号泣する準備はできていなかった

 そのとき、私はスーパーの「精肉売り場」にいた。

 ポケットの中でマナーモードの携帯電話が震えているのに気づいたとき、心臓が竦み上がった。画面に妻の名前が表示されたのを見て、自分が「やらかした」ことを悟った。

「今どこ? ミント、今、逝っちゃったみたい」

 一瞬カゴを放り出して走り出したが、今から急いでも間に合わないのだ、と気づきレジへと向かう。よほど血の気が引いていたのか、レジ係の女性に怪訝な顔で見送られながら店を飛び出した。家まで走る間、「まだあったかいから……はやく帰ってきてあげて」という涙声の妻の言葉が、頭の中でグルグルと回っていた。

 二〇二〇年五月六日、私は愛犬を亡くした。雑種のオスで、名前を「ミント」という。一九歳五カ月は、人間でいえば一〇〇歳を超えているともいわれ、「大往生」の部類に入る。

 亡くなる四~五日前から、ほとんど固形物を食べられなくなり、その前日の夜からは持病のてんかん発作が二、三時間おきに頻発し、ミントも私も妻もほとんど一睡もできなかった。

 そして迎えた「その日」。ミントは午前中にも発作を起こしたものの、昼をすぎると、やや落ち着き、ようやくウトウトしはじめた。

「今日は長い夜になるかもしれないな」

 そう感じた私は、この隙に動物病院に鎮静薬をもらいに行き、ついでに衰えた犬の食欲を刺激できるものはないかと、スーパーに寄ってしまった。そして電話が鳴ったのである。

 スーパーから家までの距離は走れば五分。大人になってからあそこまで懸命に走った記憶はない。玄関をこじ開けるようにしてリビングに飛び込んだ瞬間、クッションに横たわるミントの姿が目に飛び込んできた。涙とともに「ごめん!」という言葉が溢れて止まらない。まるで寝ているようにしか見えないが、その瞳だけが、光と一緒に生命が消えたことを物語っていた。

 ミントの最期の瞬間に立ち会えなかったこと。これは正直こたえた。二〇年近くにわたって、たくさんの喜びと幸せを与えてくれたミントに感謝の言葉を伝えることさえできない、という別れは想像したこともなかった。

2023.06.22(木)