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好きなものがない。わからない

 いまほどの認知が広がる前、田中は長期休暇にひとり旅をすることが多かった。沖縄の離島には、ほとんど行ったことがある。

「ひとり旅が好きなわけではないんです。たとえば5日間のお休みがあったら、どこかへ行かなきゃいけないという気持ちになる。あとから尋ねられたときに、どこどこに行って、なにをしたと答えられないといけない気がしちゃって。誰かと行きたくても休みが合わないし、学生時代からの友人とはライフステージが変わってくる。人といると、どこかで気を遣っちゃうところもあって。子どものころから、サービス精神が旺盛なんだと思います」

 祖母の口癖は「みな実は本当に気が利くね」だった。

「私はおばあちゃん子でした。祖母がぬか床をかき混ぜていたら『私もやる』と一緒に混ぜて。お手伝いが大好きだったんです。祖母に褒められるのが嬉しくて、私はお手伝いが得意なんだと思い込んでました。『気が利くね』と言われ続けたことで、そういう人間になったのかもしれない」

 常に誰かのために動いていると田中が言い表す母は、専業主婦だ。父親の仕事の関係で、田中は小学校時代を海外で過ごした。

「ロンドンに住んでいたころ、母はよくスコーンを焼いてくれました。だから、ここのスコーンはこうだったよって、あとで母に話せるってちょっと思って」

 インタビューの途中で注文したスコーンを口へ運びながら、田中が言う。食べたかったわけではないのだ。最初にオーダーしたフルーツプレートは? 常に果物を持ち歩いているし、さすがに好物だろう。

「フルーツも好きで食べているわけではないというか、いまのところ体の調子も良くて。だから密着番組で好きな食べ物を尋ねられたときも、すごく考えてしまったんです。生魚は体に合っていると言われたから積極的に食べてますけど、好きなわけではない。かといって、好きなものを我慢しているわけでもないんです。好きなものがない。わからない」

 田中は、チョコレート好きとしても知られている。

「チョコレートも、どこかで、人よりも詳しいなにかがあったほうがいいという気持ちがあるかな。純粋に好き、誰とも共有しなくてもいいというものはないです」

 世に発信したい欲望はないが、他者の期待を察知する能力には長けており、それに応えたい気持ちもある。サービス精神は旺盛だが、自分の好きなものはわからない。そんなアンビバレントを抱える田中が、長く続けている仕事がラジオだ。

「終わると言われない限りは続ける、という美学でしょうか」

 テレビの仕事よりホッとするとか、リスナーとの絆とか、ありきたりな答えを期待した私が浅はかだった。

 取り付く島もないようにも思えるが、相手の望みに応える能力が高い彼女の口からこういう言葉が出てくるのは、真摯に向き合ってくれている証でもある。

「テレビのバラエティ番組は、終わらない限り続くじゃないですか。最近、ドラマや映画に携わるようになり、終わりが決まっている仕事に対する取り組み方と、続けていく意識の中でやる仕事、人間関係の築き方の違いを考えています。向き合い方が全然違うんです」

 彼女の解説はこうだ。

「続けていくものは、時間をかけてお互いを知り、ジワジワと人間関係を築き上げる。続ければ続けるほど、定期的に会う人たちって、すごく愛おしくなるんです」

 今年(2021年)の3月、田中はTBS社員時代から続けてきた『ジョブチューン』と『有吉ジャポン』から離れることになった。

「居場所がなくなっちゃったなと。ドラマや映画って、3カ月かけてやるものもあれば、1話ゲストで呼んでいただくものもある。ゲストだと撮影は数日だけで、その間にチームに溶け込まなきゃいけない。既に人間関係が出来上がっている中に、ポンッと入っていく大変さがあります。そこで、まだ慣れない芝居をする。居心地がいいか悪いかで言ったら、あまりよくはないですね」

 幼少期に海外生活を経験した田中は、知らない人の輪のなかに入っていく術を熟知しているはずだが。

「知ってるけど、得意分野じゃない。アナウンサーは専門職だと思っているので、ポンッと入って仕事をして、求められたことに応えて帰っていく爽快感があります。でも、芝居はまだ手探りでやっているし、呼ばれた理由もわからない。なにを求められているんだろうと、ちょっとした不安を抱えながら現場に行きます」

 提供する、呼ばれる、求められる。田中が自身について語るとき、そこには必ず他者の存在がある。自分はなにを約束できるのか。その答えが田中の行動や気持ちをガイドする。彼女にとって、世間のニーズは羅針盤だ。

「いろんなやり方があるんでしょうけど、いまのところ、私はお芝居の現場に入って、まず台本に書いてあることを自分なりの解釈でやってみます。そこから監督に修正してもらう。そうやって作り上げていく。でも、全体が把握できていないから、怖いんですよね」

 田中がTBSを退社し、フリーアナウンサーになったのは2014年のことだ。

「退社するとき、先輩アナウンサーの小林豊さんから『フリーアナウンサーという仕事はないから、あなたはもう田中みな実一本で勝負できる人になってください。肩書きなしでやっていけるように頑張ってください』と言われました。退社したらブラッシュアップがのぞめないから、技術職を名乗るのは心苦しいなと。だから、フリーアナウンサーという肩書きも、いまはあまりしっくりきていなくて。かといって、女優という肩書きも、まだ大変おこがましい。だから肩書きなしで、『田中みな実』にしてくださいと常々お願いしています」

2023.04.13(木)
文=ジェーン・スー
イラスト=那須慶子