『週刊文春』の連載「おじさん改造講座」でデビューし、人気コラムニストとして活躍していた2009年12月、くも膜下出血の手術後に脳梗塞が起き、失語症になってしまった清水ちなみさん。
90年代にOL委員会のメンバーとして会報作りなどを手伝っていた相撲ライターのどす恋花子さんが、華やかだった時代の清水さんとの思い出と、還暦を迎えた清水さんの新刊を読んで感じたことを綴ります。
秘密結社(?)、OL委員会
かつて『週刊文春』での人気連載に「おじさん改造講座」なるものがありました。
おじさまたちの生態をユーモアと多少の毒をもって報告する秘密結社(?)が、私たちOL委員会でした。
1987年の連載開始当時に200人だった会員は年々増え続け、私の会員番号は898。最終的には8,000人近くにもなったと聞いています。
OL委員会主宰は、清水ちなみさん。初期は古屋よしさんがその右腕だったと聞きますが、私がお手伝いに行く1990年当時は大場かなこ(「大バカな子」から来るペンネーム)さんが頼もしい右腕になっていました。
月に1度ほど、週刊文春編集部の会議室に10名ほどの有志が集まり、全国のOLから届くアンケートを開封し、集計をお手伝いするのです。
お弁当と交通費が出て、その後は決まって飲み会。必ず飲み会。絶~対、飲み会。
清水さんも大場さんも、とんでもない酒豪で、当時一番年若い会員だった私は彼女たちにお酒の味を教えていただいたようなものです。
ある日、清水さんの旦那さんが笑って言いました。
「ちなみが家に帰ってきたら、もう、酒というよりエチルアルコールの臭いがするの。それこそ火を付けたら引火しそうなくらいでね(笑)。で、30センチくらいの長~いレシートがデロ~ンと出てきて、ほとんどがテキーラとかの強い酒の名前ばかり。それも大場さんとふたりで飲んで、3軒目の店のレシートだって言うんだからねぇ」
世にもくだらないことを思い立ち、実現しちゃう
とにかく清水さんと大場さんは、世にもくだらないことを思い立ち、実現しちゃうんです。中国ツアーを組み、天安門広場で“だるまさんがころんだ”をして警察に職質されたり、帝国ホテルでの10周年記念パーティでは、全国のOLがホテルの品位を落としかねないブッとんだ仮装姿で集結しました(ウエディングドレス姿で段ボールを肩に担ぎ、エレベーターに乗って外国人旅行者をギョッとさせたのが、現在人気漫画家の西炯子でした)。
「競馬場で運動会をしたいね。みんなで走ろうよ!」という企画は、数々の競馬場担当者から「あなた、本気で言ってます?」と却下され、相手にされなかったのには心から残念そうでもありました。
会員だけに配られる“門外不出”の会報がこれまた面白くて。公けにはとてもできない秘密ネタばかりで、
「若い頃、芸能人の〇〇と付き合っていたんだけど、かくかくしかじか」「先日、皇族の〇〇がうちのホテルに宿泊なさったんです。で、なんとその時(略)」
インターネットもない、2ちゃんねるもTwitterもない時代。お互いの顔も知らない、年齢もいろいろ、職種もいろいろ、人生いろいろなOLたちが会報上で内緒話、井戸端会議をしていた感じなのですね。
当時、神楽坂の小さなマンションを仕事場にしていた清水さんは、私たちOLがぎゃーぎゃーわ~わ~ぐでんぐでん飲んでる横で、高速タイピングを駆使して原稿を書いている時もありました。
チャチャチャッとおつまみを作ってわれわれに与えてくれたりもして。
時流に乗ったコラムニストとしても忙しいなか、今でいうインフルエンサーの「企業案件」というのでしょうか。化粧品会社の新製品や女性向け商品のサンプルなどを、私たちOL委員会のためにどこからかブン捕って来てくれるのです。
企業との打ち合わせなども多かったのか、目にも鮮やかなブルーのユーノスロードスターに乗って“出稼ぎ”に出かけるのが当時の清水さんでした。
2023.03.03(金)
文=どす恋花子