生誕130年を経た今もファンを魅了し続け、“日本最初のポップアートアーティスト”とされる画家・竹久夢二と、彼に翻弄される女性たちの物語を軸に描いた『夢二~愛のとばしり』で、初主演を務めた駿河太郎。意外な経歴を持つ彼が、これまでのキャリアを振り返る。

30歳を機に、俳優の道に転身

――2003年、駿河さんはミュージシャンとしてデビューされますが、音楽の道に進まれた理由を教えてください。

 大学は2年の短期で、広報科に通っていました。マスコミについて学んでいたんですが、友達はバンドなどを組んでいたデザイン科の子が多かったんですよ。それで彼らと一緒に、学祭で歌を歌うことになって、それがきっかけで周りに「俺、ミュージシャンになるわ!」と言い始めたんです。それまでギターも弾いたこともなかったんで、かなりアホな発想なんですけど……(笑)。それで卒業したときに、両親が「あと2年間大学に行ったつもりで、どこか海外行ってこい」と言ってくれて、イギリスに音楽留学に行って、曲を作り始め、帰国した後にデビューしました。

――過去に、お父さん(笑福亭鶴瓶)と同じ道に進むことを考えたことはありますか?

 落語家になろうとは思ってなかったです。もともと服が好きだったので、最初はスタイリストになりたいと思っていましたから。

――その後、俳優の道へ進まれるわけですが、そのきっかけは?

 20代のときにバイトをしながら、バンドマンをやっていたんですが、27歳ぐらいのときに出会った今のチーフマネージャーから「役者になりませんか?」と言われたんです。でも、そのときは音楽を続けるつもりだったから、「興味ないです」と断ったんです。それから2年間、会うたびに誘ってくれたのがきっかけです。それまで、いろんなお笑い芸人を育ててきたマネージャーなので、多分違うことをやりたかったんじゃないですかね(笑)。

2016.07.29(金)
文=くれい響
撮影=橋本 篤