旧市街の中心にはランドマークの「日本橋」が架かる
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ベトナム中部を訪れる人の多くが足を運ぶ場所といえば、ホイアン。前回紹介したダナンから車で40分ほどのところにある古い港町だ。中世に海のシルクロードの拠点として栄え、日本や中国とも親交を深めたこの街は、その歴史的価値から「ホイアンの古い町並み」として世界遺産にも登録されている。
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旅人がこの街に惹かれる理由は、ここが世界遺産だから、というだけではない。ベトナムらしいコロニアルカラーの建物や中国人貿易商の旧家が立つ合間に、町屋を思わせる木造家屋が点在する風景は、どこか郷愁を誘うのだ。
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右:小船で物を売ったり運んだりする人々。ホイアンの人たちにとって、トゥボン川は生活に欠かせない場だ。
ホイアンで日本との取引が盛んに行なわれていたのは17世紀のこと。当時の政権が徳川家康に国交を求める書簡を送って以降、江戸幕府お墨付きの朱印船も入港していた。
この頃、ホイアンには数百人が暮らす大規模な日本人街もあったという。だが、江戸幕府の鎖国政策により人々の往来も途絶え、日本人街は消滅。日本人が暮らしていたという確固たる証拠こそないけれど、街の趣や建物には、懐かしさを覚えずにはいられない。
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交易時代、ホイアンには日本人と中国人が多く住んでいた。16世紀終わりに日本人と中国人、ベトナム人が造ったといわれているのが、街の中心に架かる日本橋。正式名称は来遠橋といい、ホイアンのシンボルでもあり、ベトナムの2万ドン紙幣の裏側に印刷されている有名なスポット。
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日本人が暮らしていた建物ははっきりと分かっていないが、中国人が造った寺院や中国人会館は今でも見ることができる。
代表的なものが、福建會館。17世紀に中国の福建省からこの地にやってきた華僑が建てたもので、中には航海の安全を守る天后聖母が祀られている。漆塗りの凝った彫刻や華やかな色彩は、南国の空気に不思議とマッチして、異国情緒たっぷり。
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2016.03.16(水)
文・撮影=芹澤和美