学生時代は、大学の近くに友人が住んでいることも多く、いつでも誰かに会えた。 土日と平日の境目があまりなく、ちょっと授業に出て、バイトに行って、夜中にTSUTAYAに行ってCDを試聴して、誰かの家で飲んだりして、日々の生活全てが長い散歩の延長のようだった。気楽で、全てが面白いわけでもないけど悪くもない。自分から積極的に何かを求めなくても、居心地が悪い場所なんてほとんどなかった。
ところが、社会人となると話は別で、日々の大半を居心地の悪いオフィスで過ごし、慣れない接客と手続きに緊張しっぱなし、帰宅しても神経をすり減らすハードな明日に備えて眠るだけとなる。自分から何かしないと、仕事に備えたメンテナンス(食う・寝る)で余暇の時間が終わってしまうのだ。よく、社会の歯車、職場と家の往復、といった言葉で無味乾燥な生活を表すが、そんなのは全然マシだと思った。歯車は誰か大元がいて、そいつが操作して自分は意思なく回る だけである。心を使わず淡々と処理するイメージだ。心を使う必要がなければ自ら心を殺す必要もない。職場と家の往復だって「他に何もない」と言う意味だろう、何もない生活ならまだマシだ。
仕事にはストレスがある。私だってマニュアルやルールがあってそれに従って動いているだけだが、接客という仕事は 「全てはお客様のため」という建前がある。つまりお客にしてみれば、あたかもそのルールは私という店員の心持ち次第で変更可能であり、客である自分の言い分が理にかなっていればいくらでも融通をきかせてくれるかのようにと信じている。お客様が想定している「店員」はそんな存在だろう。
金融事務というマニュアル通り働くべき場所で、最大限心ある店員さんの顔も作る、素晴らしき感情労働の世界。彼らは店員がただのロボットだとわからないのか……。私は厳密なルールに従って働く無機質な機械だ。なのに、丁寧で爽やかで明るく元気な人間の顔を求められるなんて、なんだか「理不尽」を感じた。イラつきをあらわにしないために、心を制御する副作用としてのゾンビ化だ。しかし、ゾンビ化の深刻さをお客様が理解するのは難しいから、無表情なロボットだと思って無視してくれればいい。それなら労力と給与でプラマイゼロだ。なのに笑顔を上乗せするとなると、それはもうポケットマネーで負債を補填している状況だ。
何かぶち込まなければ。 何か強い刺激をぶち込まなければ。どうせクソみたいな生活なんだから全部ぶち壊して破壊したい。2年目になりボーナスがしっかり入るようになって、半ば自暴自棄のようにストレスを金で発散した。可愛い服は買っちゃえ、その日の格好が気に入らなければ出先で服を買って着替える、だって真の休日は週1日しかないのだから、可愛い服を着れる時間を少しでも長くしたい。 23歳かそこらである。可愛い服を着て可愛いカフェに入りたい。 1日家にいるとなんだか休日を無駄にしているように感じる。だからとにかく出かけたい。しかし、お金も限られている、友人は休みが合わない、遠出する気力もない、そんなわけで都内のお洒落そうな街に出向き飯を食う。そのうちそんな休日にも飽きてしまった。
そんな時、大学時代に上京した友人4人で新宿OTOに行った記憶が蘇った。 毎月第1金曜日、某DJのイベントに通った時代。通ったといっても、おそらく通算4回くらいしか行っていないのだが、理系大学の滑り止め学科の私には、あの空間は夢のようだった。友人と集まり、その時の最高にお気に入りの格好で……といってもローリーズファームのカーキのパンツに袖がフレアの白のトップスという平凡な格好で雑居ビル2階のドアを開けると、そこにはお洋服を熟知した女の子たちが集っていた。そのイベントは服飾専門学校の生徒は割引で入ることができ、それらしき女子で満員で、白い服の金髪ゆるふわ森ガールたちが、べろべろに酒に酔って踊っていた。
その様子は、宗教画の天使たちが禁忌を犯しているようで、蠱惑的で自堕落で、東京が隠している秘密みたいだった。雑誌に載らない、気軽で気だるい、みんなが秘密にしている東京の楽しさ。 当時、私も友人たちもそのDJの曲を聴き込んでいたので、好きな曲が狭い空間に大音量で響くとテンションが上がった。意識の朦朧とした天使たちにまぎれてジャンプしたり、知らない名前のお酒を飲んだり、その空間にいるというだけでとても楽しかった。私ははっきり言ってダサい格好だったが、みんな酔っ払ってて他人の服なんか見ちゃいない。 なにより友達が一緒で楽しいから平気だった。誰もが泥酔に乗じて気軽に話しかける。「何飲んでんのー?」「カメラマンやってまーす」「今度このイベント来てねー」「それカワイー」みんなに言ってる意味のないセリフ、誰も意思疎通なんかできていないが、声をかけられると審査にパスした気持ちになる。何をするわけでもないのに楽しい。ここは楽しいという概念を実体化した場所なのだ。私の唯一知っている、日常と地続きの場所にある楽しさ……。今や毎日が忌々しい。クソみたいな平日に中指を立てる意味でも週末の深夜に出かけたい。何か効き目の強い楽しさをぶち込みたい。そうして深夜に家を抜け出し、からっぽの終電で出かける生活が始まった。ゾンビが人間だった時代を思い出してしまった。
冬野梅子(ふゆの・うめこ)
2019年『マッチングアプリで会った人だろ!』で 「清野とおるエッセイ漫画大賞」期待賞を受賞。その後、『普通の人でいいのに!』(モーニング月例賞2020年5月期奨励賞受賞作)がTwitterを中心に話題に。「CREA」2022年秋号で、『まじめな会社員』が夜ふかしマンガ大賞1位に選ばれた。
Twitter:@umek3o
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編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載です。
(タイトルイラスト=STOMACHACHE.)
2022.12.07(水)
文=冬野梅子