編集部注目の書き手による単発エッセイ連載「DIARIES」。今回は歌人・エッセイストの堀静香さん。話題の映画『ファーストキス 1ST KISS』を観に行った、一組の夫婦のお話です。長年連れ添ってもわからない相手とのままならない生活の中で、この映画が与えてくれたものとは。

 夫が年々わからない。一緒にいればいるほど、見えなくなる。憎んでいる、と言い切りはしないが、確実に憎みつつある。夫がやることなすことそして言うこと、どれかに毎日イラッとする。家中の電気の消し忘れはもう半分諦めているので「お風呂の電気、消し忘れていましたね」と静かに確認するのみだ(「あら、すみません」と夫も静かに頷く)。こちらの言うことに対して、たいてい逆張りの意見を重ねてくるのもいけ好かない。こうだと思うんだよね、に対して「でもさあ」などと言う。でもじゃあないんだよ。まずは受け止めるべきなのだ。通勤時、車で広瀬すずのラジオを聴いていたのもなんかむかつく。なんで広瀬すずなんだよ。少しでも苛立てば、都度わたしはそのまま伝える(つまり、「なんで広瀬すずなの?」と真顔で言う)。伝えれば、たいてい喧嘩になる。

 ただこうして文句ばかりを並べても、同じだけ夫にも言い分があり(わたしは何度注意されても自分のバスタオルを外に干さない)、つまるところお互いさまなのはわかっている。そもそも、夫を憎んでいる、などと書いて当の夫が悲しむだろうことは予想できて、けれど毎日のように険悪になったり、イライラする時間があることは、夫とて否定できないはずだ。こんな状態なのに、夫はわたしを憎んでいないとでも言うのだろうか……?

 もちろんずっと気は合う。だから一緒にいられる。そろって人の悪口を言うとき、わたしたちはとてもいきいきしている(悪趣味だ)。そして何より夫に対して情がある。あるに決まっている。結婚して9年、大学生の頃から付き合いはじめて、そこから数えればもう15年になる。となれば恋愛感情はほとんどなくなって、代わりに慕わしさや情が膨らんでゆくことは仕方ないし、もちろん離れたいなどと思っているわけでもない。情が離れがたくしているのかもしれない、としたらこんなわたしたちはいったいどうしたらいいのだろう。世の夫婦は、夫婦であり続けることの難しさと、いったいどう向き合って(あるいはやりすごして)いるのだろう。

 そこで、映画『ファーストキス 1ST KISS』である。どうやらけっこう話題らしい。感想がXのタイムラインによく上がるし、検索すると、「夫婦の未来が変わる」「険悪な夫婦が観れば確実に離婚率が下がる」「夫と観た翌日、いつもより長く見送りをしたし、夫は帰りに花を買ってきた」など散見され、しかもそれらに何万いいねがついている。さすがに(いやほんとか……? 盛りすぎでは?)と突っ込みたくなるのだけど、それでも。これはいま、わたしたちが観るべき映画なのではないか。

 SNSの感想はどうあれ、そもそも脚本が坂元裕二なのだから作品として間違いないのだろうし、観るなら早いに越したことはない、と勇んで仕事中の夫にLINEすると(日々仕事中の夫に思いついたことはなんでもLINEしまくるわたしの厚かましさはさておき)、どうやらあまり乗り気でなさそうだ。おかしい。だって、何を隠そうわたしなんかよりよっぽど坂元裕二作品が好きな夫である。学生の頃、たしか旅行中の新幹線のなかでわざわざPCまで持参して「最高の離婚」を見せてきたり、「大豆田とわ子と三人の元夫」を毎週手を叩いて喜んで鑑賞し、しまいにはため息まじりに「自分も出演したい……」と厚かましい発言をかましていたほどである。

 それなのに、なぜ。帰って問いただすと「毎日いがみあってるわたしたちにきっとぴったりの映画だから!」ってLINEできみに言われたのが嫌だった、とのこと。いやいや、だって現にいがみあっているではないか。これは、認識の齟齬……。このわたしたちの毎日がいがみ合いでないのなら、このギスギスしたうちの空気をどうあらわしたらよいというのだろう。

 その後もあれこれ説得とそれにかんする(あるいは関係のない)喧嘩や言い合いの末、なんとかふたりで映画館に行くことがかなった。夫が仕事を都合してくれたことも大きい。いずれサブスクに上がるのを待つのではなく、ふたりで出かけて、ふたりで並んで観たかった。それがいいように思った。

2025.03.22(土)
文=堀静香