いまを愛おしいだなんて思えたら、それは映画の主人公だ
ロマンティック・ラブを否定したいわけではないが、やっぱりひとりの人と長く、ずっと一緒にいつづけることだけが美しいとは到底思わない。違うと思えば離れてみてもいい。結果別れたっていい。そう思いながら、なのになんで、映画を観ながらこんなにも泣けてしまうのだろう。劇中、「結婚するとお互いがお互いの教習所の教官になる」「結婚生活は加点ではなく、1億点からの減点方式」という台詞があったが、ほんとうにそう。ほんとうにほんとうにそう。わたしたちも、お互いに減点に減点を重ねてもう、恋愛感情なんてほとんどからっからのはずなのに。でも、ぼろぼろ涙が止まらない。
結婚なんて、ずっとお互いだけを見つめ続けようだなんて、ずっと一組の夫婦であろうと誓おうだなんて、なんてアクロバティックで不可能なことを、わたしたちはやれると思ってしまうのだろう。その愚かな思い込みだけで、ここまできたのだから笑ってしまう。
いまは、ただ過ぎてゆくだけだから、絶対に大切になんてできっこない。そう信じて疑わない。だからその分、わたしはいつでも後悔している。こんなに横暴にふるまっていても、それでもちゃんと、同じだけもっとやさしくすればよかったと反省する。たまにごめんね、ってひとりで泣く。ほんとうにはいつだってやさしくできたんだろうな。そう思っても遅いのに。いや、遅くないのかもしれない。遅くはないよってことを、あの映画は教えてくれたのかもしれない。けれどあくまで、あの話はふたりだけの物語だと思う。何かを感じたくて、とり戻したくて観たけれど、映画のように、決められた終わりによって、無理にいまを輝かせなくたっていいはずだ。それでも、結局後悔ばかりでも、いまの輝きをまったく感じられなくても、遅くはないし、それを言葉にすることはきっと一緒にいられる時間を少しずつ、少しずつ引き延ばしてゆくのだと思う。
映画を観た後、腫れぼったい目で、最近近くにできた天丼屋にふたりで入った。「ご飯大盛り無料」とあったので、そろって大盛りにした。でも、たぶんあれは大盛りじゃなかった。天丼は噂通り、おいしかった。でも、ご飯は明らかに大盛りじゃない、というかむしろ全然少なかった(わたしが特段大食いというわけではない)。店を出てから夫に言うと、「いやあれがあの店の大盛りなんよ」と真顔で言う。はあ? だってほら、周りほとんど高齢者だったじゃん。高齢者向けの店なんだよ。いやそんなこと書いてないわ。そうだとしてもあれは大盛りじゃないよ。てか「そうだね、ご飯少なかったよね」でいいじゃん! と早速夫に吠える。逆張りもたいがいにしろよ。さっきあんなに泣いたのに、いまこの一瞬で本気で苛立つのだから、たぶんわたしたちはあまりこれからも変わらずいがみあいつづけるのだろう。いまを愛おしいだなんて思えたら、それは映画の主人公なのだから。そんなことは到底思わない。思えなくてもいいと思う。
できたてのチュロスを齧りながら観た映画の予告のなかに、同じ坂元裕二作品『片思い世界』があった。広瀬すずが出るね。今度はあれ観に行くかね。いいの。いいよ。そう言って、午後から夫は仕事へ行き、わたしはこうしていま、原稿を書いている。
堀 静香(ほり・しずか)
1989年神奈川県生まれ。山口県在住。上智大学文学部哲学科卒業。歌人、エッセイスト。私立の中高一貫校で非常勤講師として国語を教えている。著書にエッセイ集『せいいっぱいの悪口』『がっこうはじごく』(共に百万年書房)、『わからなくても近くにいてよ』(大和書房)、歌集に『みじかい曲』(左右社)がある。第50回現代歌人集会賞受賞。
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編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載です。
(タイトルイラスト=STOMACHACHE.)
2025.03.22(土)
文=堀静香