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 コラムニストであり消しゴム版画家であり「史上最強のテレビウォッチャー」であったナンシー関さん(2002年没)。生前は、独特の観察眼による鋭いテレビ批評と著名人の似顔絵をユーモアたっぷりに彫った消しゴム版画で『週刊文春』や『CREA』など数多くの雑誌で才筆をふるいました。

 亡くなって23年が経つ今年5月、「ナンシー関」の名づけ親であるクリエイターで作家のいとうせいこうさんプロデュースで、ナンシーさんが眠る青森県青森市の浅虫温泉にてトークと音楽の祭典「あさ虫温泉フェス」が開催されることに。昨秋、浅虫温泉の旅館「椿館」を訪れたいとうさんが、旅館のすぐそばにナンシーさんの菩提寺があると知り、ナンシーさんに捧げる「フェス」を発案したそう。

 そんなわけで。いとうさんと、ナンシーさんの盟友でもある放送作家の町山広美さんが、ナンシーさんが暮らした部屋を訪れ、ナンシーさんの約5000点以上にも及ぶ消しゴム版画作品を管理する実妹・米田真里さんとともに、「ナンシー関とは?」を改めて振り返りました。(全3回最初から読む


ナンシーの批評にはユーモアと愛がこもっていた

いとう ていうかさ、ナンシーはいつからテレビのことを書き始めたんだろう。

町山 テレビというか、芸能人をネタにするようになったのは、それこそ『ホットドッグ・プレス』だったと思います。押切伸一さんと一緒にやってた「対岸に火をつけろ」とか。

いとう それは俺じゃん。俺が担当してやってたやつじゃん(笑)。

町山 押切さんとナンシーさんが、「この2人が戦ったらどうなるのか」っていう、揉めてるわけでもない2人を誌面で勝手に揉めさせちゃうコラムでした(笑)。

いとう そうだよ、自由だった、あの頃は。いまそんなことやったら怒られちゃう(笑)。

町山 「対岸」とか「業界くん」とか、あと、テレビ批評ということでいえば、押切さん、高橋洋二さん、宮沢章夫さんたちと一緒にやってた『スタジオ・ボイス』の連載「テレビの泉」(注:87年〜88年)とか。ナンシーさんの初期仕事って、結構、資料から抜けていたりするんですが、そこにはナンシーさんの初期衝動が詰め込まれているので結構重要だなと思うんです。

いとう そうそう、「テレビの泉」。面白かったよ、すごく。テレビや芸能人のことをこんなふうに切るんだって思ったもん。要するに、テレビがあまりに面白くないから、「自分たちが面白く観るんだ」っていう宣言が確かあったんだよ、リードのところに(注:「我々はすべての番組を楽しめる! クズなプログラムを24時間流されても楽しんでみせよう! 我々はテレビ鑑賞に革命を起こす黒船団なのだ!」)。その態度がものすごく新しかったし、「こうやってツッコミながら観ると面白いよ」っていう、関西のおばちゃんみたいな姿勢を提示したのも面白かったし。

 あと、ナンシーの連載でいえば、同じく『スタジオ・ボイス』でやってた「信仰の現場」(注:矢沢永吉のライブに潜入したり、宝くじの抽選会場に潜入したり、ドッグショーに潜入したりするルポルタージュ。後に『月刊カドカワ』で連載。91年~93年まで)は自分の可能性を広げたいと思ってやっていた、というのを僕はナンシーから聞いたことがあって。いま思えば、めちゃめちゃ時代を先取りしていたんだよ。

 だから、いまは「裏から観る」人はいっぱいいるんだけど、その原流にいるわけだ、ナンシーが。ただ、後追いの人たちって、ユーモアと愛で観てあげてない感じが、俺はすごく嫌でさ。

 それで新聞読むのをやめたり変えたりするぐらい、ナンシーの亜流がいっぱい出てきた。そこは言わなくてもいいじゃない、みたいなのばっかりで。ボケを引き立たせるためにツッコミを入れるんじゃなく、「お叱り」なんだもの。

町山 背後に賛同者を感じての「吊るし上げ」ですよね。

いとう ナンシーがやってたことは全然そうじゃないんだよ。

2025.04.01(火)
文=辛島いづみ
撮影=平松市聖