この記事の連載

町山 ナンシーさんが亡くなったとき、インターネットの普及率って60%弱ぐらいだったんですが、そこから急激に世の中が変わっていったんですよね。

 テレビの「中と外」の話で言うと、私がテレビの仕事を始めていちばん下っ端だった頃、クレームの電話の応対をしていたんですが、私の声がかわいいんで、クレーマーのおじさんが「んー、こんなに遅くまで働いて」って様子がだんだん変わってきて矛を収めるみたいな(笑)、人間と人間で話をしていたので、「余地」はあった。

 でも、ネットにはそれがない。しかも、民放のテレビ局にはスポンサーがいるので「外の声は聞かねばならない」ものとなっていく。そうなったら「中」はもう、ねえ。

いとう まさしくいま、右往左往の状態だもの。

町山 ネット以前のテレビと以後のテレビは別物だと思って作らないと、になってます。

お相撲が大好きだった「お父さんの娘」のナンシー

――ナンシーさんは視点が独特で鋭かったわけですが、それに加えて、文章も簡潔でわかりやすく文才も非常にありました。子供の頃から書くことも好きだったんでしょうか?

真里 どうかな。あんまり記憶はないですが。でも、高校時代は学級新聞をよく作ってたみたいで。

いとう へえ! それ、みうらじゅんだよ(笑)。みうらさん、新聞ばっか作ってたんだもん。ナンシーの新聞はどういうのだったの?

真里 先生のちょっとしたネタを書いたりしてたみたいです。高校の同級生から聞きました。「面白かったんだよね」って。あと、あの体型なので、外で活発に動き回る人じゃなく、部屋に閉じこもって何かをするのが好きだったんです。絵も上手だったし、編み物をしたり、レコードを聴いたり。そのときに文章も書いていたかどうかわかりませんが、家でできることはなんでもやってたと思います。

町山 私、ナンシーさんとお父さんの関係がすごく面白いなと思ってて。「ナンシーさんの原点」だと思うコラムがあるんですが(注:「スポーツ観戦、『本人』になっていたあの頃」/コラム集『何はさておき』に収録)、ナンシーさんのところは家族揃ってお相撲好きで、ナンシーさんは千代の富士が大好きだったんだけど、下校してくるとお父さんが「千代の富士が脱臼したぞ」って嘘をつく(笑)。

真里 そうなんです。千代の富士は当時しょっちゅう脱臼してたんで、父はからかうつもりで嘘をついてたんだと思うんです。しかもお姉ちゃん、それを聞いてどん底に落ち込んでしまうから、それも面白かったんだろうなって(笑)。

 そして父は、松田優作ファンの私にも「松田優作、捕まったぞ!」なんて言うんです。ニュースって、当時はすぐに入ってこないし、青森の新聞にはそういった記事が出なかったりするので、しばらく信じ込んでしまうんですよ。

町山 そこにもまた距離が。

真里 で、後で父に「あれはウソ」って言われて、「あ、な〜んだ、ホッ」って(笑)。

町山 そして、千代の富士が脱臼したと聞いたナンシーさんは、「ああ、筋肉つけなきゃ」って真剣に思うっていう(笑)。本人になっちゃてる。

真里 「筋肉をつけて防御するしかないんだよな」っていうのを延々と言ってました(笑)。

町山 その視点がナンシーさんの文章を書く原点にあるんじゃないかなって。

いとう つまり、知らず知らずのうちに小説家の訓練を受けていたようなものだったわけだ。お父さんにシチュエーションを与えられることで想像を膨らませるんだから。

町山 そうそう。お父さんのいたずらがナンシーさんの出発点にあるなと思って、私は父親と暮らしたことがあんまりないから余計にうらやましくて。

いとう お父さん、そんな嘘ついてくれないよ、普通は。家にいる稼業だったってこともあるのかな。

真里 かもしれません。うちは自営業でガラス店を営んでいたので、お相撲が始まれば家族みんなで一緒に観るし、負けるとお店を閉じちゃうし(笑)。

いとう 昭和だねえ(笑)。

2025.04.01(火)
文=辛島いづみ
撮影=平松市聖