エルヴィスの曲の向こうにアメリカ南部の農地が見えた

近田 まずはモダンジャズの分野から洋楽に分け入った湯川さんですが、ポピュラーのジャンルには、当初あまり関心はなかったんですか。

湯川 はい。でも、エルヴィス・プレスリーの音楽との出会いは、鮮烈に覚えています。1956年に、米軍放送から流れてきたプレスリーの「ハートブレイク・ホテル」を耳にした時は、直立不動になっちゃいました。歌の背景に、広大なアメリカ南部の農地が見えたんです。きっと教会音楽の要素も聴き取っていたんでしょうね。

近田 その時点では、エルヴィスのルックスを含め、予備知識はまったくなかったんですよね。

湯川 はい。まだテレビなんてありませんでしたから。これは何だと思いましたね。強烈なパンチを受けました。それから少し経って、福田先生から「ポピュラー専門にやってみたら」というアドバイスを受けたこともあって、ポップスやロックへと移行したように思います。

近田 エルヴィスの登場の衝撃って、日本にはどの程度伝わっていたんですか。

湯川 日本に洋楽の情報がアメリカやイギリスからあまり間を置かずに入ってくるようになったのって、60年代の東京オリンピックからなんですね。だから、50年代のエルヴィス最盛期に関しては、実は、日本ではほとんどちゃんと紹介されていないんです。

近田 50年代末期には徴兵されてキャリアを中断、60年の除隊後は、ロックンローラーというよりは映画スターと化してしまった印象があります。

湯川 31本も主演作がありますけれど、ひどい映画が多いんですよ……。

近田 『G.I.ブルース』とか、面白かったですけどね。

湯川 あれはよくできてる方ですけれど。

近田 『ブルー・ハワイ』『ラスベガス万才』も好きでした。

湯川 その2本は極上の部類です。近田さんのご覧になった3本とか、『闇に響く声』はいいですが、それ以外に、日本では封切りすらしてもらえなかった映画もあったんですよ。

近田 じゃあ、僕が観たのは上澄みだったんだ(笑)。

湯川 はい。運がよかったと思ってください(笑)。

近田 音楽面において、後年のエルヴィスは、すっかりバラードシンガーになっちゃいましたよね。ラスヴェガス公演を収めた『エルビス・オン・ステージ』とか、ホノルル公演を収めた『アロハ・フロム・ハワイ』とかありますけど、70年代に入ってからの彼の活動に関しては、どう評価していらっしゃるんですか。衣装なんかも、ロカビリー時代とは全然違うじゃないですか。

湯川 私は、「エルヴィスは一貫してエルヴィスだった」と考えています。本質は変わらない。だって、1人の人ですもの。みなさん、ブランクを空けてエルヴィスを目にしているから違和感を覚えるんでしょうけれど、ずっと追いかけている私にとっては、連続性があるんですよ。初期の野生の狼みたいなエルヴィスも、晩期の汗が涙に見えるエルヴィスも、全部つながっている。どの時代の彼を見ても泣けます。

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