結局その写真取材がきっかけで、まずモデルの道が開けるのだが、そこから続く映画スターへの道には、未婚という条件が横たわっていた。

 妻が女優になると言い出したら、今の世でも「はい、どうぞ」という男性は少ないであろう。

 2人は、とても愛し愛される幸せなときがあった。

 私は、ノーマ・ジーンは、この普通の男性と会えて良かったと思っている。

2番目の夫は米野球界のレジェンド

 マリリン・モンローというハリウッドスターになってからの夫、2番目の結婚相手は、ジョー・ディマジオであった。

 マリリン・モンローの結婚と、ノーマ・ジーンの結婚とでは同じ人間でも、あまりに違う。いうまでもなくノーマ・ジーンは一般人、マリリン・モンローは女優、しかもトップの映画スター。根本からして次元の違うこのカップルは、最初から“スターの結婚”であった。

 ディマジオは、野球人として、我が日本でも長嶋茂雄をはじめ多くの人たちから尊敬を集めるレジェンドである。

 1952年に出版された、ヘミングウェイの『老人と海』は、ピュリッツァー賞を得て、彼のノーベル文学賞受賞に寄与した名作であるが、ディマジオは、大ディマジオ、偉大な男性として登場する。足の痛みに耐えて顔に出さずマウンドに立ち、結果を出し続けたディマジオの不屈の精神は、老人がたったひとり巨大なカジキと闘いながら思い浮かべるヒーローなのである。マリリンの心のアップダウンとの闘いにも、何故かその姿がかぶると思うのは私だけだろうか。

 「野球のことは何も知らなくてごめんなさい」と謝るマリリンに、「気にしないで。私も映画についてほとんど知らないから」とディマジオは答えたというが、最初は全く異ジャンルのふたりは、世紀のカップルとして結婚した。

 イタリア移民の彼は典型的なマッチョで、最初彼はマリリンは家庭に収まるだろうと思い、マリリンの中にも、やがては……という思いがあった。

 しかし運命は思いどおりにはならなかった。マリリンの人気は天井知らずで結婚しても全く落ちることはなかった。

 離婚のきっかけになった『七年目の浮気』で、スカートが地下鉄の風でめくれあがるシーンは、マリリンの代表的なイメージになった。

 ディマジオの先妻との子どもジョーイは、マリリンを囲むファミリーの中で特別に悲しい人生を送った。

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