ジョーイは自ら地獄の深みへ
マリリンが亡くなる数時間前に電話で話していたという記録もあり、勿論いろいろな裏事情を知っていたという。ジョーイは、特別に心を許しあったマリリンの死があまりにもショックだった。
ジョーイに薬物を教えたのはマリリンといわれるが、彼女の亡き後、国民的英雄の息子は地獄の深みに自ら落ちていった。
ディマジオは、アメリカの有名野球人のなかでは珍しく身持ちも良く、スポーツマンらしい清潔なイメージであったし、実際それを保つことにプライドを持っていた。彼は弱者、特に子どもには優しかったが、実の息子との関係は上手くいかなかった。
ディマジオの大きな悩みは、息子の社会的な評判であった。息子が定職を持たず、薬に溺れホームレス生活をしている。これは彼のイメージをあまりにも悪くし、そのために一時は息子を勘当していた時期もある。
しかし彼は何度もコンタクトを取り続けたし、あえて自分の名を出さずに金が渡るように頼んだり、様々な形で援助し続けたが、息子はどんどん彼を避けるようになった。
親が偉大でその体面を保とうとすればするほど、子はその裏にまわってしまう。これは、どちらにとっても悲しい関係であった。
歯は抜け落ち、汚れ切ったあばら家で…
ディマジオが亡くなったときに葬式と遺産相続の為に、関係者がやっとジョーイを探し出したときは、歯は抜け落ち、汚れ切ったあばら家で薬と酒に明け暮れる悲惨な生活をしていたという。
そして彼は父の死の半年後の8月6日、その存在がまるで父の影であったかのように、57歳でこの世を去った(マリリンの亡くなったのは8月4日または5日といわれている)。
息子は偉大な父を愛しながらも反発し、時代の波に呑まれながら人生を終えたのだ。彼の写真は、アメリカの幸福の象徴のような家族団らんの子ども時代以外ほとんど残されていない。大人になってからは、最後に父の棺を運ぶ、ジャンキーの中年男性の姿が残るのみだ。
ディマジオは、マリリンの後に再婚することはなく、1992年8月5日まで30年間、毎週2回バラを捧げ、その後は花崗岩の素晴らしいベンチを墓所のすぐ近くに記念として設置した。










