34歳で「笑っていいとも!」のディレクターと結婚
渡辺 売れてるタレントは、もともと頭がいいし、経験値も圧倒的に上がっていく。そんな人たちを相手に、我ながらよく仕切れるもんだなと思いますけど。恐らく、幼い頃からずっと父を見てたから、できることなんでしょうね。渡辺晋は、いろんな人から頼りにされてましたから。
近田 たくさんのタレントを抱えてるから、大変だよね。
渡辺 青木さやかにしても、中川翔子にしても、そのタレントのブランドとしての価値を高められるような関係を築いていけるよう、冷静に努力しているつもりです。あくまでも理想で、実現できてるのかどうかは、分かりませんけど(笑)。
近田 今まで、挫折しそうになったことはあった?
渡辺 何回もありますよ。ある程度借金に目途がついたり、自分が誰かの身代わりになって会社を守らなければならない出来事が起きたりした時は、何度も辞表を出そうと思いました。
近田 人知れず苦労を重ねてきたんだね。
渡辺 あれは33歳の時のこと、ある人を前に「どうせ、私は辞められないじゃない?」とこぼしたら、「ミキちゃんは、本当は辞めようと思えば辞められるよ。でも、やりたいからやってるんだと思うよ」と言われたんです。目から鱗が落ちましたね。そこで、辞めるか続けるかを考え直した。
近田 結局、辞めずに続けてきてるわけだ。
渡辺 ええ、おかげさまで何とか。それとは別に、30歳ぐらいの頃の私は、このままだと結婚もできないなと思ってたんです。
近田 プライベートに割く時間もなかっただろうしね。
渡辺 30歳を迎えるまでは、お見合いの話も来てたんです。国会議員の二世と結婚しないかとか。でも、それを聞いて、自分は中途半端な人間に見られてるんだなと悩みました。こうまでして仕事を頑張っていても、プロとして認められてないから、こういう話が来るんだなって……。
近田 結婚したのはいつ?
渡辺 34歳でした。
近田 ミキちゃんの旦那さんであり、現在はワタナベエンターテインメントの会長も務めている吉田正樹さんは、かつてフジテレビのプロデューサーだったよね。どんな風にして出会ったの?
渡辺 「笑っていいとも!」のディレクターだった彼のところに、うちの栄作を売り込みに行ったのがきっかけでした。それから3年ぐらいして結婚したのかな。
近田 結婚してみて、自分の中で何か変わったことはあった?
渡辺 いやあ、すごく楽になりましたよ。それまで、内心、自分は一人で戦っていると勘違いしていた部分があったんだけど、実はそうじゃなかったことに気づいた。夫という同志を得て、マネージャーもタレントも、仲間であると改めて確信しました。信頼できる、安心できるコミュニティを作ることこそが大事なんだなって。
近田 ミキちゃん、成長したねえ(笑)。
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渡辺ミキ(わたなべ・みき)
1960年、東京都生まれ。ワタナベエンターテインメント代表取締役社長。渡辺プロダクションの創設者、渡辺晋・美佐夫婦の長女として生まれる。日本女子大学在学中に舞台デビュー。1986年、渡辺プロ系列の渡辺エンタープライズ社長に就任、翌年、渡辺プロに取締役として入社。自らもプロデューサーとして辣腕をふるう。現在は、ワタナベエンターテインメント代表取締役社長のほか、渡辺プロダクション代表取締役会長、渡辺音楽出版代表取締役などを務める。
近田春夫(ちかだ・はるお)
1951年東京都世田谷区出身。慶應義塾大学文学部中退。75年に近田春夫&ハルヲフォンとしてデビュー。その後、ロック、ヒップホップ、トランスなど、最先端のジャンルで創作を続ける。文筆家としては、「週刊文春」誌上でJポップ時評「考えるヒット」を24年にわたって連載した。著書に、『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトルモア)、『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』『グループサウンズ』(文春新書)などがある。最新刊は、半世紀を超えるキャリアを総覧する『未体験白書』(シンコーミュージック・エンタテイメント)。
Column
近田春夫の「おんな友達との会話」
ミュージシャンのみならず、幅広いジャンルで活躍してきた近田春夫さんが、半世紀を超えるそのキャリアにおいて交遊を繰り広げてきた錚々たる女性たちとトークを繰り広げる対談シリーズがスタート。なお、この連載は、白洲正子が気心を通じる男性たちと丁々発止の対談を繰り広げた名著『おとこ友達との会話』(新潮文庫)にオマージュを捧げ、そのタイトルを借りている。
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- 文=下井草 秀
写真=平松市聖 - keyword










