ひとりひとりのタレントと向き合って

渡辺 私はその頃、これからはバラエティ番組が伸びていくだろうと考えていたんです。それまでは、その手の番組の司会といえば、もっぱらアナウンサーが務めるもので、人から話を聞かれる立場の方が、話を聞く側より偉いと見なされていた。

近田 そうそう。はっきりとした主従関係があったよね。

渡辺 その認識が、ある時期を境に変わったんですよ。価値の転換があった。それを踏まえ、違う角度から自社所属のタレントを眺めてみると、今まで見つけられていなかった才能という宝物が眠っているんじゃないかと気づいた。

近田 視点を変えるっていうのは、すごく大事だよ。

渡辺 中山君は、「第二の吉川晃司」を募集するオーディションに合格して事務所入りしたんですよ。だから、本当は歌手志望だった。俳優も歌手もやるのが理想形という時代にデビューしたんだけど、彼には彼にしかない能力があった。

近田 それが司会、今で言うところのMCだったと。

渡辺 ええ。当時、この言葉はまだ存在しなかったんだけど、彼は、「裏回し」っていう役割ができるタレントとして、司会者に便利がられていたんです。

近田 裏回しっていうのは、ゲストでありながら、司会をアシストするような形で他のゲストに話題を振ったりして、番組を盛り上げる存在のことね。

渡辺 そこから、深夜番組を皮切りに司会へと進出していったわけです。恵(メグ)ちゃんは、お笑いだけじゃなくて、ちょっと情報性のあるものも得意だった。だから、必ずしも笑いは取らなくてもいい方面に仕事を広げたいと思ったんです。

近田 まさに慧眼だね。

渡辺 そんな風に考えていた2004年に舞い込んできたのが、TBSの「(特)情報とってもインサイト」という番組の司会でした。その時、恵(メグ)ちゃんとミーティングをして、20年後、古舘伊知郎さんになっていることを目指そうよと伝えました。理想から逆算する形で、キャリアをプランニングしたんです。

近田 計画的だったんだね。

渡辺 そこから、何度か番組はタイトルを変えましたが、現在の「ひるおび」に至るまで、彼は20年以上、同じ枠で帯番組の司会を務めています。

近田 もはや、「笑っていいとも!」に匹敵しそうなレベルじゃん。そもそもの話だけどさ、ミキちゃんって、お笑いには興味があったの?

渡辺 実のところ、あんまりなかったんですけど、会社に関連の部署があったので、ライブを観るようになったんです。そこで気づいたのが、「これ、小さな劇団じゃん」ってことだった。

近田 どういう意味?

渡辺 グループの中に、劇作家や演出家がいるわけです。それらの役割は、分担している場合もあれば、共同でやっている場合もある。そして、同時に演者も兼ねているわけだから、これは劇団ですよ。ネプチューンもTIMも、二人なり三人なりでやっている劇団だと分かった。そこから、面白さを理解できるようになったんです。

近田 ああ、ミキちゃんが中学生の頃からやってきたことと一緒だと。

渡辺 お笑いのグループに関しても、恵(メグ)ちゃんの司会と同じように、メンバーとミーティングの場を持って、中長期の計画を立てました。3年後や5年後にどうなっていたいかとかね。

近田 俺、そんなの一度も考えたことないよ(笑)。

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