鯨類と人の関わりや海のフォークロアを紡ぐ。是恒さくら《白華のあと、私たちのあしもとに眠る鯨を呼び覚ます》2025

 是恒さくらは、鯨と人間社会の関係をテーマに作品を制作している。その表現方法は多種多様。ドローイング、刺繍、立体、冊子などさまざまなアプローチで鯨と私たちの間の物語を紡ぎ出してくれる。

 是恒が鯨という題材へ心惹かれるようになったきっかけは留学先となるアラスカ滞在にあった。

「アラスカ先住民の芸術に関心がありアラスカ大学の芸術科に通っていました。大学には先住民の同級生たちもたくさんいて。食事会に行くと、自然と鯨の肉が食卓に並ぶんです。あなた日本人だから鯨好きでしょって。でも、私は鯨をそれまで食べたことがなくて、その時初めて食べたのですが、それから鯨を食べる文化や歴史に思いを馳せるようになりました」(是恒さん)

 食卓を囲み、対面した相手の家族や故郷を想う。その経験から、是恒はフィールドワークを、そして対話を重ね、さまざまな声をひとつずつ拾っていくことを重要視している。

「和歌山県の太地町へ行ったときに、地元のおばあちゃんと話をしたら『捕鯨とか反捕鯨とかいろいろあるけど、お茶を飲みながら縁側でゆっくり話をすれば仲良くなるんじゃないのかね』って話していて。本当にそうだなって感じました。わかり合うということは、いろんな体験や物語を分かち合うこと。今は鯨というと“語りにくさ”が起きるようになってしまっていますが、私が作品という形で物語を紡いでいくことで何かを考えるきっかけになればと思います」(是恒さん)

 中空を見上げるとマッコウクジラが鎮座し、静謐な空間をぐるりと囲むように網が張り巡らされている今回の作品。鯨という存在を一頭丸ごと体感してもらいたい、と是恒は語る。

「人と鯨の出会いって、歴史的に考えると、骨の姿で出会うことが一番多かったんじゃないかと思うんです。その骨からかつて生きていた姿を創造するという行為はきっと人間にしかできないこと。今回は2009年に流れ着いたマッコウクジラの骨を元に、血と肉を再現し、そして物語を縫いあわせました」(是恒さん)

 是恒はリトルプレス『ありふれたくじら』を主宰するなど、作品制作以外の場でも鯨と人間の関係を考えるきっかけを提示している。関心がなかった、鯨のことを知らない、という人にこそ触れてみてほしい作品だ。

是恒さくら

1986年広島県生まれ。広島県拠点。2010年アラスカ大学フェアバンクス校卒業。在学中はネイティブ・アート、絵画、彫刻を学ぶ。2017年東北芸術工科大学大学院修士課程修了。国内外各地の鯨類と人の関わりや海のフォークロアをフィールドワークを通して探り、エッセイや詩のリトルプレス、刺繍作品として発表する。リトルプレス『ありふれたくじら』主宰。2018年〜2021年、東北大学東北アジア研究センター災害人文学ユニット学術研究員。2022年~2023年、文化庁新進芸術家海外研修制度・研修員としてノルウェーに滞在し、オスロ大学文化研究・東洋言語学科の研究プロジェクト「Whales of Power」に客員研究員として参加。

【旅を楽しむためのワンポイント】
旅先では自然を感じる場所をゆっくりと時間をかけて歩くようにしています。長い距離を歩くことで、太陽の陽射しとか、風の強さとか、香りだとか。そうした身体的な記憶が刷り込まれていくことで忘れがたい記憶になります。そうして歩く中で、そこだけにしかない風景や、どこかで見た風景と重なるものを探す。観光スポットなどを離れて少しそうした時間をつくると自分だけの旅の経験ができると思います。

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