少しずつ呪いを解いていった
 
――当時の上坂さんの中には、やはり行き場のない「怒り」があった?
今思えばありました。でも、家庭環境や自分で選んでいないどうしようもないことで不幸な人って、辛すぎて感受性のスイッチを切ってることがあると思います。私もそうだったのですが、20代になってから少しずつ呪いを解いていった感じです。
――地獄の渦中では、自分が本当はどう思っているのか、気付けないこともありますよね。
私も昔は、家でなにが起こってもなにも思わない状態にずっとなっていて、両親が離婚しても、「あ、そうっすか」みたいに受け流す術が身に付いていて。それを続けていると、自分はこれが嫌だったんだ、悲しかったんだって事にずっと気付けないですよね。
私の場合はたまたま、就職して家を出て、経済的にも精神的にも余裕ができたことで、あれ、私って悲しかったんだって気付くことができました。もし感受性のスイッチを切ったままずっと生きていたら、ちょっとしたきっかけで死にやすくなる。うれしいことも悲しいこともなかったら、もういつ死んでもいいじゃんみたいになりやすいから、私自身、今も感受性を取り戻す訓練をしています。
自分の感受性を取り戻す訓練
 
――今回のエッセイでも感受性を取り戻す訓練のエピソードが登場します。ディズニーランドに行ったり、なにが楽しいのかよくわからないことを真剣に取り組む上坂さんの姿が、可笑しいやら切ないやらで、感情を激しく揺さぶられます。
ディズニーランドもそうだし、あと海とか山とか夜景とか桜とか、みんな綺麗っていうけど嘘なんじゃないかって本気で思ってたんです。Googleでいくらでも見れるのになんでわざわざ行くの?みたいな(笑)。
でも、自分が疑ってた状況に身を置いて、自分は今どう感じてるかな? 綺麗ってどういう感じの綺麗だろう? 友達がすごく喜んでてうれしいし、なんか私もうれしいぞーーみたいなことを、ひとつひとつ確かめながら自分のモードを定義付けしていくと、なるほど、これが悲しいってやつか!ってわかってくる。自分の感情を認めてあげたら、少しずつ生きやすくなりました。
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- 文=井口啓子 
 撮影=佐藤 亘
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