1曲だけあげるなら…

 曲は大ヒット。中原さんはその年のレコード大賞新人賞を、筒美さんは作曲書を受賞した。

 筒美さんと松本さんが一緒に作った曲は400曲近くに及ぶ。答えに窮すると思ったけれど、あえて、どの曲がいちばん印象に残っているか尋ねてみた。

「やっぱり、太田裕美の一連の楽曲だよね。1曲だけあげるなら、『煉瓦荘』。『ELLEGANCE』(78年)というアルバムに入ってて、京平さんと生前最後に会ったときの思い出の曲。京平さんが亡くなる数年前の2014年。太田裕美のコンサートを観に、渋谷のホールへ行ったんだ。彼女の40周年記念公演ということもあって、京平さんも来ていたけれど、体がずいぶん弱っていて、白川さんに支えられながら歩くような状態だった。

 コンサートでは太田裕美が何十年かぶりに『煉瓦荘』を歌ってくれたんだ。売れない詩人が主人公の曲。実を言うと、ぼくはその曲を書いたことを、コンサートで聴くまですっかり忘れていたんだ。でも、京平さんと一緒に聴くうちに、なんだか胸がいっぱいになって、気づけば涙があふれていたんだ。

 終演後、みんなで京平さんの行きつけのイタリアンレストランで食事をして、『煉瓦荘』の話になったとき、『なんていい曲なんだろうね』と京平さんに言ったら、京平さんは『あの売れない詩人は松本くん自身のことなんでしょ』って」

あれからは詩を書き続けた
哀しみにペン先ひたして
想い出で余白をつぶした
君の名で心を埋めた
井の頭まで行ったついでに
煉瓦荘まで足をのばした
運良く君が住んでた部屋が
空室なんで 入れてもらった
煉瓦荘 売れない詩人とデザイナーの卵
煉瓦荘 窓まで届いた林檎の木の香り

――『煉瓦荘』(作曲:筒美京平)

 筒美さんの墓石に刻まれている「一粒の麦」とは「一粒の麦は地に落ちることで多くの実を結ぶ」というイエス・キリストの言葉の一節。人を幸福にするために自らを犠牲にする人のことを指す言葉でもある。

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松本隆(まつもと・たかし)

1970年にロックバンド「はっぴいえんど」のドラマー兼作詞家としてデビュー。解散後は専業作詞家に。手がけた作品は2,000曲以上にもおよぶ。

Column

松本隆と歩くぼくの風街

「ねえ、ぼくの"風街"めぐりをしてみない?」――松本隆さんがあるとき言った。作詞家・松本隆さんの「風街」とは、松本さんの頭の中に存在する街だ。しかし、その「風街」は松本さんの人生と創作活動に深く結びついている。「松本隆と歩くぼくの風街」では、松本さんとともに「風街」を巡る旅に出かけ、その足跡をたどっていく。