パパはファンのためにも戦わなくちゃいけなかった
 
――闘病する姿を隠さずにYouTubeで公開し続けたことに凄みを感じました。普通であれば、もう静かに過ごしたい、そういう気持ちになると思うのですが、それとは逆のことをされましたね。
パパはやらなければいけなかったんですよね。
3、4年前、この病気になったと聞いたときに、アメリカにおいでよって私はパパに言ったんです。
パパは「あぁ」「うんうん……ありがとう」って。話は聞いてくれるんだけど、どこかで私に負担をかけたくない、自分が父親としてやらなければいけなかったことをしてこなかったという負い目があったからか、最後まで来てくれませんでした。
私は「オムツだって変えられるよ。ぜんぜん問題ないからね」って。「パパは体が大きいかもしれないけど、アメリカだと300キロの患者さんだっているんだからね」って言ったのに。
――そこまで伝えても猪木さんは寛子さんの世話になろうとはしなかったんですね。
アメリカに行ってしまうことはファンの前からいなくなることでもある。最後の最後までみんなの前にいたいという気持ちがあったのかもしれません。
 
――頑張り続けるということで言うと、猪木さんの言葉の一つに「元気があれば何でもできる」というものがあります。多くの日本人がその言葉に鼓舞されてきました。
パパはヒーローとして最後までそういう姿を見せようとしていたんだと思います。それこそ、そういう言葉とともにみんなの心の中でパパが生きていけたらいいなと思うんです。
猪木のファンだからその言葉を支えに自分も頑張ってみる、挑戦してみる。ファンじゃなかった人たちにもパパの人生を少しだけでも知ってもらって、好きになってもらえたら嬉しいですね。
辛いことや嫌なことがあったとき、自殺をしてしまったり、ネガティブなほうに考えてしまいそうなら、パパの姿を、そして言葉を思い出してほしい。パパが言ったとおり、元気があれば、どんな問題だって解決する方法は見つけられると思いますから。
 
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- 文=児玉也一 
 写真=末永裕樹(寛子さんポートレート)
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