常にファンのことを考えていたアントニオ猪木さん
 
――闘病中の猪木さんが「頑張ってくれという言葉が一番辛いんだ」「ファンはギブアップを許してくれないからね」とインタビューで答えていたことを思い出します。
猪木さんが亡くなられて、お母さまの倍賞美津子さんとはどのような話をされましたか。
ママはパパのことを「素晴らしい人だった」と話していました。人ができないことをやった。人が考えつかないことを現実にした、と。
――寛子さんと同じ思いは、お母さまにもあったと思いますか?
最低な旦那さん、と思ったかもしれません(笑)。それでも、素晴らしい人だった、と。
 
――ここまでのお話を踏まえて改めて伺いますが、猪木さんはどんな人でしたか。
完璧な人というのはいないですよね。どこかは欠けている。
パパの場合はそれが家庭に対するサービスだった。でも家のことをいろいろ気にかけるような人だったら、反対に世界に向けた力、ファンの人たちに届けるエネルギーは足りなかっただろうし、できなかったと思うんですよ。
パパはどちらかを選ばなければいけなかった。すべてをやることは無理だったんです。
――それが猪木家のかたちだった、ということでしょうか。
そうですね。
そんな中で、私の救いはアメリカに行けたことだと思います。日本にいればマスコミにいろんなことを書かれて、それに悩んだかもしれません。
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- 文=児玉也一 
 写真=末永裕樹(寛子さんポートレート)
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