物語と付かず離れずの絶妙な距離感

 駒場は漫才師としてのたくろうの物語と今回のネタを重ねあわせながら、分析的な手つきでネタのおもしろさの核である「意味のある挙動不審」を剔出する。ネタの構造を示し、「だからおもしろい」と観客や視聴者に説明する。その上で改めて、たくろうのしんどい7年間に触れる。分析的に取り出したたくろうの可能性の中心を、現在のスタイルに至るまでの7年間の物語の上に、もう一度乗せ直しているのだ。

 物語的なコメントと分析的なコメントを往復する語り口。ここでも、その「行ったり来たり」が際立つ。感覚的で物語的な言葉に耽溺するのではなく、分析的な言葉で事象を切り捨てるのでもない。駒場は審査員として、冷静さと共感を併せ持つ説得を紡いでいく。物語と付かず離れずのその距離感は、やはり絶妙と言わざるを得ない。披露されたネタの優劣を斬るだけでなく、そこに至るまでの試行錯誤のプロセスにも目を向ける姿勢は、個々の漫才師に対する応答責任を引き受ける、ケア的な語りとも読めるだろう。

 2025年のM-1のコピーは「漫才万歳」だった。漫才の起源ともされる「万歳」に立ち返りつつ、すべての人の人生そのものを「万歳」と笑って讃えあう――そんな二重の意味が込められていたようだ。

 そう考えると、多くの笑いを生み、多幸感に満ちた大会となった昨年のM-1は、「漫才万歳」という言葉にふさわしい。決勝に進んだ10組の漫才師はいずれも、「漫才万歳」の最大の立役者でありつつ、同時に最も祝福されるべき主役だった。

 その上で付け加えるならば、審査員席に座った駒場もまた、「漫才万歳」を支えた重要な立役者の1人だったと言えるだろう。もっとも、駒場自身は祝福の中心に立つ存在ではない。彼は自らが主人公になるためではなく、「推し」である10組の漫才師、さらにはM-1そのものを主人公に据えるための「言語化」に徹していたのだから。