お笑い賞レースの審査員は、難しい役割だ。今見たネタにすぐ点数や優劣をつけなければならない。コメントも要求される。しかも、審査対象は統一的な評価基準が未だない「お笑い」だ。

  そんな審査員は、SNS上で批判の的にもなりやすい。大会終了後に噴き出す違和感、不満。「叩かれることまで含めて仕事だ」と冷静に語る審査員経験者もいる。

 たくろうの優勝で幕を閉じた2025年の『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)もまた、審査員に注目があたった大会だった。ただ、目立ったのは炎上ではない。むしろSNSを中心に称賛の声を集めた審査員がいた。

 ミルクボーイの駒場孝である。なぜ、駒場の言葉は多くの人に届いたのだろうか。その理由は、あえて同時代的な表現を使えば、「推し」の魅力を「言語化」する手つきが際立っていた点にあると思う。別の角度から言えば、M-1が演出する漫才師たちの「物語」との距離感が絶妙だった。


印象を残した「めっちゃええ」という感覚的な言葉

 駒場の審査で印象に残ったのは、コメントの多くが「めっちゃええ」で始まっていた点だ。たとえば、1組目のヤーレンズへの講評は、次の言葉で切り出された。

「いや、めっちゃええと思いました。2023年の(決勝時の)しょうもなさがよみがえってきてた感じがして、ヤーレンズが初登場したときのしょうもなさがホンマによみがえった感じがして」

 今回、駒場がコメントを振られたのは10組中5組。そのうち4組が、「めっちゃええ」に類する言葉から語り始められている。駒場が「めっちゃええ」と言うと観客から笑いが起こり、半ばギャグのようにもなっていた。張り詰めた会場の緊張が、審査員らしからぬ素朴で感覚的な語彙によってほどけ、笑いへと転じたようにも映る。

 それにしても、この「めっちゃええ」という表現はとても感覚的だ。あいまいで主観的、とも言える。一方で、そうした言葉選びは批判の対象にもなりかねない。実際、過去にSNS上で批判されたお笑い賞レースの審査員は、「感覚的」「あいまい」「主観的」などとフレーミングされることが多かった。「めっちゃええ」は日常的な関西弁である分、そうした印象を余計に強めかねない。

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