湯川さんは“推し活”の先駆者!
湯川 ちなみに、私は、1982年にマイケル・ジャクソンがアルバム『スリラー』をリリースした時に、その国内盤のライナーノーツに「ひょっとしたらこのアルバムは、ギネスブックの記録を書き換えるかもしれない」と書いたんです。
近田 その予言は見事に当たりましたね。
湯川 はい。ところがどうして、中村とうようさんは、「ミュージック・マガジン」の合評コーナーで、『スリラー』には0点をつけていらしたんです。私が「どうしてなの?」と聞いたら、逆に「れい子ちゃんはどうして満点がつけられるのか教えてよ」と返されて。「だって、いいんですもん」と言ったのを覚えています。
近田 つまり、フィジカルな部分での快感ってことですよね。
湯川 でも、とうようさんは、あのアルバムに関しては、白人であるエドワード・ヴァン・ヘイレンのギターが入っている点なんかに違和感を感じて、黒人たちが営々と築いてきた歴史を冒瀆するものだっていうんでしょうか。
近田 とうようさんには、運動論として音楽を評価する部分がありましたよね。
湯川 ジェンダー論になりますけれど、男性には、「だっていいんだもん」という言い方が許されないと思うんですよね。仲間から「なぜそれがいいのかちゃんと論評しなさい」と迫られてしまうんじゃないかと。
近田 その意見には、説得力がありますね。とうようさんといえば、80年代後半、非常に影響力の大きかったニューヨークのヒップホップグループ、パブリック・エネミーのアルバムにも0点をつけたんですよ。ポピュラーミュージックの歴史というのは、新しさを追い求めることに主眼があったと思うんですけど、あの頃、とうようさんはもうそれにちょっとついていけなくなってたんだろうなって感じちゃいました。
湯川 新しさというのは、フィジカルなもの、体温のようなもので、過去の創造物を壊していくところに面白さがあるんですよね。
近田 そう。そして、そこにこそ、官能性が宿る。
湯川 去年、ふと気づいたんですけど、私が65年間続けてきたことって、結局は「推し活」なんですよね。好きでもない人のことは書きもしなかったし、見向きもしなかった。
近田 湯川さんは「推し活」の先駆者だったんだ(笑)。
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湯川れい子(ゆかわ・れいこ)
1936年、東京都生まれ。女優としての活動を経て、1960年、「スイングジャーナル」への投稿を機に、ジャズ評論家としてデビュー。その後、エルヴィス・プレスリーやザ・ビートルズなど、洋楽ポップスの評論や解説に健筆を振るう傍ら、「全米トップ40」をはじめとする番組でラジオDJとして活躍する。また、エミー・ジャクソン「涙の太陽」、シャネルズ「ランナウェイ」、松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」、小林明子「恋におちて -Fall in Love-」など、作詞家としても多くのヒットを放つ。
X @yukawareiko
近田春夫(ちかだ・はるお)
1951年東京都世田谷区出身。慶應義塾大学文学部中退。75年に近田春夫&ハルヲフォンとしてデビュー。その後、ロック、ヒップホップ、トランスなど、最先端のジャンルで創作を続ける。文筆家としては、「週刊文春」誌上でJポップ時評「考えるヒット」を24年にわたって連載した。著書に、『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトルモア)、『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』『グループサウンズ』(文春新書)などがある。最新刊は、半世紀を超えるキャリアを総覧する『未体験白書』(シンコーミュージック・エンタテイメント)。
X @ChikadaHaruo
Column
近田春夫の「おんな友達との会話」
ミュージシャンのみならず、幅広いジャンルで活躍してきた近田春夫さんが、半世紀を超えるそのキャリアにおいて交遊を繰り広げてきた錚々たる女性たちとトークを繰り広げる対談シリーズがスタート。なお、この連載は、白洲正子が気心を通じる男性たちと丁々発止の対談を繰り広げた名著『おとこ友達との会話』(新潮文庫)にオマージュを捧げ、そのタイトルを借りている。
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- 文=下井草 秀
写真=平松市聖 - keyword
