死ぬ時は、ひとりがいい(続き)

 私が最近、周りの人たちによく言っているのは、心臓麻痺による孤独死を希望するということだ。もし私が心臓麻痺で倒れた時、誰かがそばにいて救急車を呼んだ日には、わが国はほかのことはともかく、救急出動のシステムがとてもよく整っているので、速やかに事が運んでいつの間にか集中治療室に到着してしまう。そうなると、処置を受け、やや回復したら一般病棟に移り、誰かに看病してもらいながら数日入院することになるだろう。そうして退院したらどうなるか。この年では完全に快復するのは難しく、退院後も戦々恐々として生きることになるのは目に見えているのに、親子別々に暮らすこの時代に、看病してくれと誰かに要求したくはない。

 だったら療養施設に行くしかないのだが、私は療養施設に行くつもりはこれっぽっちもないので、死にゆく瞬間に誰にも見つかってはならない。母が何年か療養施設にいたが、結局また家に戻り、2年と2カ月を家で過ごして亡くなって、介護費用がものすごくかかったというのもある。だから、孤独死するしかないのだ。一般的に孤独死とは、一人寂しく死に、誰にも見つけられることなく長期間にわたって放置される場合をいう。しかし、実際に孤独死したケースを調べてみると、女性はあまり多くなかった。この研究結果が出た日本の場合、とうの昔に家族との連絡が途絶え、長い間ひとり暮らしをしていたアルコール依存症患者や薬物中毒者である50、60代の男性が大半だというデータもある。

 今はひとり暮らしの親が高齢になったら、プライバシーの侵害にならない場所に監視カメラを設置すればいい。知り合いの小説家に直接聞いた話だが、高齢の父親が朝起きてこないので妻が部屋のドアを開けてみたら、様子が変だった。息はあったものの何かおかしいと思い、救急車を呼んだという。病院に行ってしまえば、医師の処置を見守るしかない。いくつもの検査を経て、尿管をつけ、あれこれ処置を受けた。たとえ延命治療を望まないという当事者の意思表明がはっきりしていても、一通りのことはするそうだ。それに、家族がそれ以上の延命治療を拒否すると、処置を受ければまだ生きられるのになぜそうしないのかと、とんでもない親不孝者扱いをされたりもする。だから私の知り合いも言われるままにしていたのだが、病院に運ばれて3日目に彼の父親は亡くなった。あの時父は、穏やかにレーテーの川を渡っていたのに、急に手鉤(てかぎ)で持ち上げられたように3日間、あらゆる処置に苦しめられて逝ったかと思うととてもつらかったと話していた。

 親が死にそうになったら病院に連れていき、高額な注射の一つでも打ってもらってから見送ってこそ最後の親孝行をしたことになると考えられていたのは、食べるのにも困っていた時代のことで、今どきの人たちにとって死は病院で出くわすものだ。私は、死ぬ時が来たら家で穏やかに死ぬことのできる自由を享受したい。そのためには、誰も見ていないところで突然死ぬことを望むしかないのだ。

 義母は93歳の時、家で3日間何も食べられずに寝込んだまま自然死した。119番通報すると、すでに死亡しているので民間の救急車を呼ばなければならないと言われ、救急車を呼んだ後も、死亡診断書を発行してもらうのに走り回った。警察にも連絡が行き、5、6人の調査官が出入りした。こんな調子だから、もはや家で静かに眠るように死ぬのも簡単ではないようだ。

 スコット・ニアリングの遺言とも言うべき「人生最期の瞬間が来たら」は、彼の妻であるヘレン・ニアリングの著書『美しい人生、愛、そして最期』〔原題:Loving and Leaving the Good Life、1992年、未邦訳〕で紹介されていて、彼らは自然のなかで百歳を超えるまで生きた。歴史的な著名人が死ぬ時に残した遺言について書かれた本もたくさんあり、著名人たちの墓碑銘もよく知られている。

 「私は何も望まない。何も恐れない。私は自由だ」。ニコス・カザンザキスのこの墓碑銘のように私も言いたいけれど、すでに彼の専売特許だし、マルクスみたいに「遺言を残すのは、今まで言いたいことを言わなかった馬鹿だけだ」とも言えないので、私も、思い出したついでにひとこと残しておこうと思う。

 私は人生における課題をすべてこなし、これまで概ね楽しく幸せに生きてきたと思う。私の場合、夫の葬儀を終えること、後処理を終えることが最大の課題だった。あなたたちもあまり頑張りすぎず、ほどほどに(これが大事!)生きなさい。快楽を追い求めたところで幸せになれるわけではない。何か生きづらいことがあったら、まずそれを解決すれば、ささやかな幸せを感じながら生きられるはず。健康を損ねると幸せでいるのが難しくなるから、健康を維持するために、何か一つ運動を高齢になっても続け、あまり複雑なことは考えず、単純に生きなさい。幸い、財産は多くないから揉めることもないでしょう。息子に娘に嫁に孫、あなたたちがいて幸せだったし、あなたたちがいてくれるから、私は今も元気に楽しく生きられる。私の葬儀はその時の一般的なやり方で行って火葬し、遺骨はあなたたちの父さんの時と同じようにしてちょうだい。祭祀はせず、その日、もし時間があればあなたたちの集まりやすい場所に集まっておいしいものでも食べなさい。それからもう一つ、もしも望みが叶うなら、あなたたちの父さんは花咲く春に逝ったから、私は紅葉の色づく秋に逝きたいな。そうすれば、あなたたちは春と秋のいい季節に会えるだろうから。

 おしまい。

イ・オクソン

1948年、晋州生まれ。3年間の教員生活を経て専業主婦に。『女ふたり、暮らしています。』の著者キム・ハナの母。娘に勧められて書いた本書は、ピリリと辛口な文章が話題となり、発売からわずか3カ月で10刷を突破。各種ランキングを席巻し、76歳の一般主婦にもかかわらず韓国の大手書店のブックオブザイヤーを獲得するなど注目を集める。

『老後ひとり、暮らしています。』

定価 1,870円(税込)
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