
編集部注目の書き手による単発エッセイ連載「DIARIES」。今回は、エッセイ集『集めずにはいられない』を刊行された“おみゆ”こと小谷実由さんです。『集めずにはいられない』ではTシャツ、ぬいぐるみ、猫の髭、ミンティアなど愛する物について綴っていた小谷さん。では、嫌いなものは――?
好きなものがあるのだから、その対極にある嫌いなものだってある。普段は「嫌い」という言葉を頭に置かないようにしている。「嫌い」という言葉が浮かんだら「苦手」という言葉に脳内変換して自分に言い聞かせる。嫌いと思ってしまうと心の中で文句が止まらなくなって、その文句という栄養を受けて負の感情がむくむくのびのびと育ってしまうのを避けたいのだ。でも、あいつだけは我慢ならない。
負の感情について言うと、「悔しさ」はやる気に替えることができる。悔しい状況は多くあってほしいものではないけれど、悔しいと思うことが自分の成長の糸口を発見できるきっかけになるので、こちらの負の感情は貴重な原動力として大切にしている。一方で「嫌い」は、自分にとってプラスに転換することが難しい。嫌いだなと思ってしまうと、私はなぜか怒る。これは完全に理不尽な怒りであり、他言無用なパンドラの箱だ。そんな怒りを抱える自分にも嫌気がさしてしまい、とんでもなく疲弊してしまう。本当にいいことがない。好きと嫌いは表裏一体なんて話も聞くが、そんなことがあるのだろうか。嫌いだと思っていても本当は好きかもしれないなんて、今の私は真正面から好きだと思うものに気持ちを向けることで手一杯で、そのような複雑な気持ちはまだまだ自分の中には存在しないだろう。
「苦手」の持つ力はすごい。この言葉にかなり助けられている。苦手と思うことによって、嫌悪感で上ってしまった血はクールダウンされ、凝り固まった意識を柔らかくすることができる。苦手は、自分が上手に向き合えないことだと解釈している。私自身に問題があってうまく関われないのであって、そのもの自体は悪くないと思いたい。どんなに私が嫌いだと思っていても、それらを好み、必要としている人も存在する。その人たちにとっては、とても大切でかけがえのないもの。自分にもそうしたものがあるからこそ、そこにできる限り敬意を払いたい。
そんな苦手という言葉でも歯が立たない、嫌いなあいつ。それは熟していないアボカドだ。包丁を入れないとわからないその内情。何か大きな壁のようなものに守られていて、何を考えているのか全くわからないあいつ。私はスーパーでいつもアボカドの皮と睨み合っている。熟しているものの特徴をたくさん調べ、今までに何度も内側の状況を探ろうと試みた。わかりやすいものがあるときは心置きなくそれを手に取る。でも、これはどうなんだ……と思うものしかないとき、買うのをやめたらいいのに博打をする。博打なのだからダメでも諦めなくてはいけないのにもかかわらず、熟していないアボカドに出会ってしまった瞬間私は豹変する。半分に切り分け、スプーンでしゃくろうとしたとき、スプーンを跳ね返す硬さの屈辱感たるや。無理矢理くり抜き、口に入れた時の噛みきれなさは想像するだけで眉間にしわが寄る。
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- 文=小谷実由
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