父親として、息子として

 デル・トロの父親はきわめて厳格だったという。「もともとは父の父親――つまり私の祖父が、父に対して非常に厳しい人だったのです。だから父は、子育ての方法をほかに知らなかった。だから私は、2人のような父親にはならないと誓いました」

 その父親が、1997年に誘拐事件に巻き込まれたこともデル・トロの内面に影を落とした。デル・トロは身代金を工面して支払ったが、父は解放されたあとも、誘拐されている間に何があったのかを語らなかった。そのため、父の晩年に“事件の真相を教えてほしい”と頼むまで、デル・トロは当時の出来事について知ることができなかったという。

デル・トロ この世界において、良いエネルギーは“受容”と“怒り”のみだと思います。我々はこの2つを使い分けなくてはいけません。怒りだけが頼りになる時も、受容だけが頼りになる時もありますが、これら以外のエネルギーは無駄な派生物。本作の怪物は、まさに“怒り”と“受容”の間にあります。そして、この映画は“受容”を大切にしているのです。

 一方、デル・トロ版『フランケンシュタイン』が実現するまでの長い年月は、作品の構想にも大きな変化をもたらした。2人の子どもが生まれ、自らも父親となったことで、自身の父だけでなく子どもたちとの関係も物語に反映されたのだ。かつて父や祖父のようにはならないと誓ったデル・トロだったが、その道のりが生易しいものではなかったことも認めている。

デル・トロ 年を重ね、40代になってから、私は父親にそっくりだ、よく似ていると気づきました。ならば、息子に謝罪して新しい方向に進むのか、そのままで許しと受容を求めるのか、あるいは事実を受け入れずに“うちの息子は扱いづらい”と言うのか。私は耳を傾け、変わろうと努めてきました。

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