やなせたかしが“遺書”を書いた理由
ぼくが死ねば、アンパンマンがどういう風にしてぼくの中で育っていって世の中へ出ていったのかが解らなくなる。遺書はぜひ書いておかねばとずーっと思っていたので、これは天が与えてくれたチャンスと思った。
もし、この本を書かなければ、だらしない性質のぼくは1日延ばしにしているうちに途中で挫折するのはほぼまちがいない。
戦後も50年を経たが、ぼくの人生はまさに戦前、戦中、戦後を通過してきた。
いつ死んでもおかしくない激動の時代だった。ぼくはなんとか生きのびてきた。今は人生のオツリか、附録のようなものだ。しかし附録が本誌より豪華ということもある。ぼくの附録は意外に良かった。
高位高官というのは望まないし、似合わない。雑草の暮しがいい。

それにしては恵まれていたと思う。日陰の細道の名もない雑草としては、ちいさな花を咲かせることが出来ただけで望外である。すべての点で人後に落ちるぼくにしては上出来と、自分で拍手している。
大部分はアンパンマンのおかげである。このキャラクターにめぐり逢えたことが幸運だった。
アンパンマンはぼくの子供であり、ぼく自身でもある。この遺書はアンパンマンを通じて世間へ公開するかたちをとった。
ぼくのパッとしない人生もケジメだけはつけておきたかった。
記憶はもううすれているので、ところどころ細部ではまちがっているかもしれない。でも、大筋はまずこんなものである。
なんとか遺書を書きあげてほっとした。
〈「大丈夫だと言ってたよ」やなせたかしが末期がんの妻についた“優しい嘘”…余命宣告後に起きた“信じられない奇跡”とは〉へ続く

2025.10.08(水)
著者=やなせたかし