ある長寿作品のパロディになっている、ということは題名を見れば判る人には判ると思う。元ネタが何かは伏せておく。完全なコピーぶりに感心した、とだけ書いておこう。

斜線堂有紀「カタリナの美しき車輪」(「小説新潮」8月号)

 笑える短篇の次はホラーを。二〇二四年に読んだ中で最も怖い短篇だったのではないかと思う。怖さにもいろいろある。「カタリナの美しき車輪」のそれは、一度()まったら絶対に逃げられないのではないかと思わされる拘束力にある。長篇だが、鈴木光司『リング』(角川ホラー文庫)を読んだときの絶望感に近いものをこの作品で味わった。

 本篇が恐ろしいもう一つの理由は、SNSという現代人にとって身近なものが題材となっている点である。中高一貫のミッションスクールである聖カタリナ愛心学園を卒業した〈私〉こと戸高亜純は、教員の不注意な投稿によって母校がネット炎上に巻き込まれたことに心を痛める。なんとか事態を打破しようとして彼女が考えついた妙案は、予想だにしなかった事態を引き起こすのである。どんどん加速がついていく終盤の展開は圧巻である。

佐々木愛「僕たちは のら犬じゃない 番犬さ」(「小説宝石」9月号)

 佐々木愛は、デビュー短篇集『プルースト効果の実験と結果』(文春文庫)から、一貫して他にはない独自の物語世界を生み出してきた作家である。どの作品でも、どうしてそこに目をつけたのか、ユニークな着眼点にまず目を(みは)らされる。驚きの次に来るのは、しみじみとした共感だ。佐々木の描く登場人物たちはみな、うまく折り合いをつけることが下手である。本篇の主人公である〈わたし〉は人と話すことが苦手な小学生で、自分の意志を伝えるために大きな声を出さなければならない学校に居づらさを感じていた。同じ悩みを持つ鈴木くんという少年とだけは、唯一連帯することができたのである。

 成長した〈わたし〉の元に無言の電話がかかってくる書き出しから、優しい語りに胸を掴まれる。ほんのりと可笑しく、読み終わった後になぜか涙がにじむ。

2025.09.23(火)