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吉永小百合さんが繰り返した「産みたくない理由」

 しかしひとたび現実に戻ると、急増するニートやひきこもりの問題がにわかに目に飛び込んできて、今の時代に子どもを持つことの難しさやリスクが急に頭をもたげてくる。

 そこでふと蘇ったのが、吉永小百合さんが、1973年の結婚前後、結婚しても子どもを産まない、産みたくない理由を様々な場面で語っていたこと。子どもは好きだが、自分には育てる自信がないと。自分にも責任が持てないのにとても……と。

 世間では子はカスガイと言うけれど、子どもで結びつく夫婦関係はいやであると。少なくとも当時、自ら「子どもを作らない」という宣言をする人は他にいなかった。まさに納得の上で、論理的に子どもを産まなかった人なのだ。

 そのことが当時まだ10代だった自分の中にもハッキリと刻みつけられていた。そういう考え方があること、しかも吉永さんの発言だったことは、強烈なインパクトを持ったから。

 きっぱりそう言える勇敢さと信念に尊敬を覚えたのは確か。自分自身も未来の社会に何やら不穏なものを感じていて、自分の子どもがまっすぐ育ってくれるかどうか、そこに自信が持てなかったから。

 10代の頃の記憶を引っ張り出したのも、なるほどあれはこういう感慨だったのか、と数十年を経て改めて生々しい共感を覚えたから。また結局子どもを持たなかったエクスキューズのために、その伝説的な発言に多少ともすがってみたくなったからなのだ。

 本当にこれからの世の中で子どもを育てるのは並大抵ではなく、だからこそ、今この時代に子どもを育てている母親たちには、尊敬すら感じている。とりわけ働きながらの子育てには本当に頭が下がる。ただ、産まないことは自分にとってやっぱり必然だったと、そういうふうに気持ちを収めたのだった。

 そして、誰にも何も残せないという発想をやめてみた。誰にも残す必要がないからこそ、今できることがあるというロジックにシフトしてみた。ましてや人それぞれ使命があるならば、母にならない分だけ、何か世の中の役にたたなければまずいんじゃないか、何の役割も持たない大人になってはいけないのだと、思うようになったのである。

2025.09.11(木)
文=齋藤 薫