辺りは薄暮の雲に覆われ、今にも昏くなろうとしている。その日はいつにも増して湿度が高く、夏らしい陽気に満ちた空気もどこかへ消え失せていた。心地良い風が吹いているというよりも、淀んだ分厚い空気の層が、窮屈そうに互いを押し退けあっている感覚。空気が循環せず、代謝せず、ぐずぐずとその場に留まっている。まるで、彼女の周りだけが、あらゆる生命的な循環を拒否しているかのように。

 カタ、と呼ばれた少年は、再び彼女から視線を外し、人の行き交う通りを眺める。その動きと、ほぼ同時だっただろうか。

 裏通りの奥から、不意にひとりの少女が現れた。

 年の頃はカタと同じくらいだろう。学舎帰りなのか、その身形にはやや大きな学生鞄を抱え、所在なげにきょろきょろと辺りを見回しながら歩いている。彼女は女と少年のいる方に目を向けると、少しだけ立ち止まり、ややあって恐る恐るといった表情で近付いてきた。

 少女の周囲には幾人かの大人がいて、それぞれに家路を急いでいるが、彼らが少女の視線の先にあるものに気付いている様子は全くない。

「あの」

 茣蓙に坐した女に、少女は話しかける。

 黒い鞄を前抱きに、やや不安げな声色で。

「何でしょう」

 黒い女はにこやかに応える。

 先ほどまで少年に向けていた尊大な態度は噓のように――麗らかな声と丁寧な言葉遣い、そして柔和な表情で彼女を見上げる。その上目遣いの瞳の奥の奥、黒い薄膜を隔てた目に宿る何らかの感情に、果たして少女は気付いたかどうか。

「あなたは――何、なのですか」

 かける言葉に随分と逡巡したようだ。

 少女の小さな掌が、白いブラウスの裾をぎゅっと摑む。

「それは、貴女自身がよく分かっている筈ですわ。私に気付けているのなら」

「そう言われても――私自身も、何でここに来たのか、よく分からないのです。学校から帰ろうとして、通学路を歩いているうちに、ふらふらと――」

「何かに誘われるように。皆様、そう仰いますね」

2025.08.27(水)