しかし、冒頭の七代将軍家継は政治を動かしていたとは言えない、と思われるかもしれない。幼少将軍は、どのような存在なのだろうか。
室鳩巣が水戸家の家臣から聞いたという、次のようなエピソードが伝えられている(「兼山秘策」正徳三年七月二十三日)。
ある日家継は、食事の際に、鱚の開きを焼いた物に少し手を付けてから、側の者に次のように仰せになったという。
家継「掃部ぢいは、もう食事はしたか〈掃部ぢいは、食事はや仕候哉〉」
側の者「井伊殿は帰宅されました〈井伊殿帰宅以後にて候〉」
家継「未だ、食事をしていないのであれば、この焼き物を食べさせるように〈いまだ食事不仕候はゞ此焼物たべさせ候へ〉」
そこで急遽、側衆が井伊家に使者に立つことになった。井伊は殊の外喜び、家来たちにまで祝儀の品があり、上使に料理をふるまい、金五枚などを贈った。
「掃部ぢい」とは、大老井伊掃部頭直該のことである。この出来事の内実は、五歳の男の子の気まぐれに家臣が振り回された、ということかもしれない。しかし、井伊の行動には、「将軍」から思いがけない下賜品が遣わされたという喜びにあふれている。将軍が何歳であろうとも関係ないのだ。そこには、確かな「将軍権威」が存在していることがわかる。
もちろん、五歳の家継は自らの手腕で政治に直接関わることはできない。それでもこの時代、幕政運営という点においては、将軍が幼少であることによる影響は少なかった。政務がそれなりに滞りなく行われるのは、老中を中心とした幕閣の指示が通るからである。彼ら幕閣に将軍の信任があり、将軍の命を具現化する存在として見なされているからこそ、諸大名でさえ彼らの命に従うのだ。つまり、幕閣の背景に「将軍権威」があるからなのである。
将軍とは、実際に政治を運営する人々が権力を行使する「正当性」の根拠であり、権力の源、すなわち「権威」として存在していることが、その役割の根幹といえよう。
2025.06.03(火)