このたび私、九代伊勢ヶ濱正也は二〇二五年七月で六十五歳の誕生日を迎え、日本相撲協会を定年となります。

 一九八一年一月に初土俵を踏んで以来、横綱旭富士として一九九二年の初場所で十一年間の現役生活を終え、親方となってから今日まで弟子を育てるために奮闘して参りました。

 四十四年間の長きにわたる相撲人生となり、今後も大相撲に携わっていくつもりですが、ここでひとまず次代にバトンを渡すこととなりました。

 思えば現役・親方時代を通じて、いかにも私らしい、「試練が多く、それでも決して諦めない」相撲人生だったような気がします。

 一九八一年の初場所で、私は大島部屋(元大関旭國)から当時としては珍しい二十歳という年かさの年齢で初土俵を踏みました。その後は順調に出世したものの、大関挑戦を前に重いすい臓炎を患い、気力だけで土俵に上がる日もありました。大関昇進後の綱取りでも紆余曲折があり、それでも一九九〇年の七月場所後には悲願の横綱昇進を果たすことができました。在位は九場所と短い横綱人生でしたが、今もって悔いはまったくありません。

 そんな私が引退後の一九九三年、体調不良だった先代から安治川部屋を引き継ぐことになり、新米師匠となりました。先代から預かった弟子と自らスカウトしてきた新弟子という、年齢も経験も違う十人の弟子たちとの部屋づくりがスタートしました。新弟子スカウトに東奔西走し、相撲未経験の若者たちに一から相撲を教える日々でした。

 また相撲部屋の団体生活は修業の場でもあります。力士たちは大相撲という日本の伝統文化の担い手でもあり、生活面の指導や人間形成にも心を砕いてきました。

 二〇〇七年には名跡変更をし、横綱照國を生んだ名門、九代伊勢ヶ濱部屋の師匠となりました。続く二〇一三年には照ノ富士のいた間垣部屋(元横綱二代目若乃花)を、一五年には朝日山部屋(元大関大受)も吸収合併し、さらに二四年には元横綱白鵬の宮城野部屋の力士たちをも預かることとなりました。現在は力士数三十八名、行司や呼出し、床山など十名を抱える、角界一の大所帯です。安治川部屋時代から育てた弟子たちは百四十九名(預かっている宮城野部屋の力士も含む)を数えます。

2025.05.28(水)