乱れて顔に貼りついた髪の隙間から、どろりと濁った目が一華を捉えた。
空気はさらに張り詰め、室温も一段と下がり、一華は椅子の背もたれにかけている季節はずれのフリースジャケットを羽織ると、ポケットから取り出した数珠を手首に通す。
そして、棚から試験管を一本手に取り、女に向かってゆっくりと足を進め、至近距離になったところで膝をついた。
「ダムで、自殺でもした?」
問いかけたものの、女から反応はない。
しかし、一華はそれに構うことなく、数珠を嵌めた手で女の肩にそっと触れた──そのとき。
女の姿は突如、霧のように拡散し、周囲に大きく広がる。
それらは羽虫の大群のように部屋をぐるぐると旋回した後、次第にひとつにまとまり、一華が手にした試験管の中へ勢いよく吸い込まれていった。
すべてが試験管に収まりきると、一華は試験管にゴム栓をし、本棚から抜き取ったお札をその上からぐるりと巻き付ける。
気付けば部屋の空気はすっかり元通りで、一華は椅子に腰を下ろし、背もたれにぐったりと体重を預けて試験管を見つめた。
「夜な夜な体の上に乗ってくるだなんて、いくらなんでもやり口が古すぎるって」
文句を呟き、それから鍵付きの引き出しを開けて「泉宮嶺人(れいと)宛」と書かれた茶封筒の中に試験管を放り込んだ。
すでに入っていたいくつかの試験管たちが、カチンと危うげな音を立てる。
「結構溜まってきたし、そろそろ送らないと……」
ひとり言を零すと、たちまち心にモヤッとした感情が広がった。
一華はそれを振り払うように首を横に振り、引き出しを閉めると手早くフリースを脱いで服装を整え、なにごともなかったかのようにカウンセリングルームの戸を開ける。
「次の方、どうぞお入りください」
ここではサロンと呼ばれている、いわゆる待合室のソファに座っていたのは、不安げに背中を丸めて座る女性。
その背後は禍々しい影に覆われ、一華はやれやれと思いながらも笑みを浮かべた。
2024.04.30(火)