どんなに恥をかいても、命まで取られるわけではない
――アンテプリマの制作をすべて海外ベースで行うというのは、その時点で決められたのでしょうか?
その某イタリアブランドがアンテプリマをサポートしてくれていたときには、すでにイタリアで生産していたので、そのまま継続することにしました。
――PVC(ポリ塩化ビニル)の素材を編む、という工程に行きついたのにはどんなきっかけがあったのですか?
「ニットの可能性を広げたい」という話になって、いろんな素材を編んでみたことがスタートです。
革も編みましたがプリミティブすぎるし……と試行錯誤を重ねたときに、PVCを編んでみたら「これ面白いね!」と、デザイナーと二人で盛り上がったんです。ところが、当時のブランドの上司に見せたら、「こんなもの売れるか!」と却下されてしまったんです(笑)。手編みだし、お金もかかるし、使っているうちに伸びるし……って言われて大ブーイング。
けれど、私はとても魅力的に感じたので、アイデアとしてあたためていたんですね。そこで、少し値段を安くして伊勢丹で販売したら、たった1週間で完売したんですよ。ほら、見たことか!って思いました。伊勢丹は感度の高い方が多かったですからね。
――アンテプリマを創業されてから、2023年で30年を迎えました。30年の間で、挫折はありましたか?
30年間での挫折ですか? よく分からないなぁ(笑)。結構、能天気というか、何をやっても「命まで持っていかれることはないだろう」という感じで、あまり挫折を覚えたことはないかもしれません。
楽観主義でもないですけれど。何というか、「まあ、何とかなるでしょう!」という感覚です。
――では、後悔はありますか?
「あ、やっちゃった!」っていうのはいっぱいありますけど、じゃあ、次はどうしようかなとすぐに気持ちを切り替えていきます。すぐに、「じゃあ、あれはこうすれば大丈夫かな」みたいに次に発想が向いていくんです。
あるとき、ファッションショーの前日に、夜中までずっと準備して、自宅に戻ったら、うちの主人が鍵をかけたまま寝てしまい、入れなかったことがあるんです。仕方がないからスタッフが泊まっているホテルに行き、2時間くらい仮眠して、そのままの格好でショーに行きました。そうしたらプレスに「デザイナーの荻野いづみは、わりとカジュアルな格好」なんて書かれたりもして(笑)。そんな恥はたくさんかいていますけれど、皆さん、命までは取っていきませんから。
荻野いづみ
アンテプリマ クリエイティブ・ディレクター
東京で生まれ育ち、1980年代に香港へ移住。イタリアブランドのアジア展開を手掛け、リテイラーとして活躍する。「タイムレスなラグジュアリーさと現代のスタイルを持ち合わせたモダンな女性」――ユニークな洞察力を持ち合わせた荻野いづみは、地球の反対側のミラノで、1993年自身のブランド“ANTEPRIMA”を立ち上げる。アンテプリマのクリエイティブ・ディレクターとして世界を飛び回りながら、ファイン・アート、文学、音楽、ダンスや演劇などの様々なアートに対しての情熱を持ち続け、宝飾デザイン、生け花、メイクアップなどの幅広い知識などからインスピレーションを得ながら、クリエイションに生かしている。ファッションの才能のある次世代の若者を、スポンサーとしてサポートする活動にも意欲的に取り組んでいる。
2024.04.17(水)
文=前田美保
写真=佐藤 亘