子供同士のやりとりで言葉の力が磨かれていく

石井 俵さんは震災を機に、沖縄の石垣島に移住されていますが、やはり子育ての環境ががらっと変わりましたか。

 最初、東京で子供を生んで、仙台で子育てをしていましたが、都会で子供同士、野放図に遊ばせる難しさを痛感していたんです。まわりは2歳くらいからみんな習い事をしているし、危ない場所も多いから、大人の管理下でしか遊ばせられないなと。

 当時、愛読していた佐々木正美先生の育児書に、子供は子供と遊ぶ中で成長します、人の子供は借りてきてでも遊ばせなさい、というアドバイスがあって、子供同士が簡単に遊べる環境を優先したくて、息子が7歳のときに石垣島に移住したんです。

 島に行ったら、理想の環境が簡単に実現しましたね。いつも約束なんてなしにワーワー子供が集まっていて、人の家でご飯食べて帰ってくる(笑)。

石井 勉強はあとからいくらでもできますが、遊びはその時にしかできませんから、素晴らしい決断でしたね。

 子供同士の遊びのなかで、すごく言葉も成長することを実感しました。石垣島では複式学級で全校児童が15人くらいしかいなかったんです。そんなに少ないと社会性が育たないんじゃないかという意見もありますが、全然そんなことなくて、全学年の子が一緒だからこそ遊びの内容をすごく工夫するようになる。たとえば普通に鬼ごっこをしても面白くないから、「1年生を2回捕まえるのはなしね」とかみんなで知恵を出し合って、納得するルールを決めている。

 あるいは息子がヤドカリの中身を出す遊びにはまっていると、上の学年の子に「本当にほしい貝だけにしとけな」って言われてハッとしていたり。そういう子供同士のやりとりのなかで息子の言葉の力が磨かれていったのを日々実感しましたね。

石井 違う学年の子や、自分とはタイプの違う異質な子と混じり合うってすごく大切なことですね。

 いまはちょっと喧嘩するとすぐ席替えで離すとか、好きな子同士でばかりグループを作らせます。同質性の高い環境で、違うタイプの人間と向き合い、様々な困難を乗り越えて、言葉で関係性を築く力を磨かないまま社会に出ると、人間関係のちょっとしたことでいちいち辛く感じてしまいがちです。すぐに会社やめたくなったりして。

 最近の若い人は口癖でよく「圧を感じる」と言いますが、人と一緒にいたり、なにかを求められるとすぐにプレッシャーを感じてしまう。

 「圧」というのはその人間関係を苦痛に感じてしまっているわけですよね。

今の子たちは「大丈夫です」は拒絶の意味で使っている

石井 そうなんです。先日、興味深い話を学校司書の方々から聞いたのですが、今の学校の子供たちがよく「大丈夫、大丈夫」と言うんだそうです。僕たちが思い浮かべる感覚だと、例えば上司が「飲みに行くぞ」と誘って、新入社員が「大丈夫です」と言えば、「結構です」の意味ですよね。

 でも今の子たちは、もうワンランク上をいっていて、例えば、学校司書の人が「貸した本をまだ返してないけど、どうしたの?」って聞くと「大丈夫です」。あるいは「Aくんが泣いているけど、どうしたの?」って聞くと「大丈夫です」と答える。

 本を返却しないのも、友達が泣いてるのも大丈夫じゃないだろうと大人は思うわけですが、よくよく子供たちに聞いてみると、その「大丈夫です」は、「私にかかわらないで!」「そのことを言わないで!」「あっち行って!」という拒絶の意味で使っているんです。

 「ノーサンキュー」に近いわけでもなく!?

石井 「ノーサンキュー」よりも、もっと強いバリアを張るニュアンスで使っているんですね。「大丈夫」を拒絶の意味で連発することによって、自分を守っているのかもしれません。他人と言葉で対話をして、関係を築いていく力が乏しいと、よりストレスを強く感じやすいでしょう。

 そんな国語力の低下は、ネット、SNSの言語環境の影響も少なからずあるのではないかと思います。SNSでは、リアルで感じた感情をそのまま吐き散らしがちです。現実で「うざっ」と思うことがあったら、「あいつ、ウザ」とすぐに書き捨てる。言葉を練って人に伝えて、いろいろなコミュニケーションを取るなかで関係性を育てていく言葉の使い方とは真逆ですから。

 SNSでよく起こるハートのないやり取りって、やはりその向こう側に生身の人間がいる感覚が乏しいと思うんです。リアルに人とよく遊んでいれば、デジタルの向こう側にも、そこに傷つきもするし、怒りもする人がいるという想像ができる。でも、最初からSNSが中心の言葉だけのやりとりだと、そこに人間の体温を感じるのがすごく難しいのではないかと思ったりもします。

短歌は「言葉の回復プログラム」

石井 その一方で希望を感じるのは、いま若い子たちのあいだで、TwitterやLINEなどで、短歌が流行っているらしいですね。

 流行っていると思いますよ(笑)。かつてなく、短い言葉でこんなにも多くの人が発信する時代に、短歌は5・7・5・7・7という型が決まっている気楽さから、やってみようかなと挑戦する若い子たちがたくさんいます。

 いろいろな思いがいっぱいあっても31文字しか使えないので、どの言葉を残そうか、どの言葉が余分か? を考えるので、すごく国語力が鍛えられます。そこで、自分のつくった歌が思った通りに伝わることもあれば、他の人が違う読み方をすることもあって、言葉のもつ豊かさを目の当たりにできるんです。

石井 短歌って、自分の内面を細やかに見つめる訓練にもなりますよね。たとえば『ルポ 誰が国語力を殺すのか』に書いた非行少年たちが回復していくプロセスでは、言葉によって感情を「腑分け」することが重要になってきます。怒りを感じたなら、全部まとめて「ぶっ殺す」ではなく、それは「激怒」なのか「いまいましい」なのか「むくれる」なのか、つまり言葉によってはじめて、自分の感情や世の中の光景をグラデーション化し、それに適した言動をすることができる。悲しみの感情も、喜びの感情も同じです。

 短歌は、そんな言葉の回復プログラムとしての可能性も秘めているかもしれないですね。

 筋肉と一緒で、心も日頃からストレッチをしていないと、固くなってしまう。「来週までに1首つくってきてくださいね」と言われたら、たぶん1週間の心の持ちようはがらっと変わりますよね。いまの気持ちは短歌になるかな、と言葉を探して、心を見つめる。

 それって丁寧に生きることにもつながっていくし、本当に暮らしが豊かになっていく。私は生きづらさを抱えた子供たちが言葉を取り戻すことで、少しでも人生の豊かさを感じてほしいと強く思っています。

石井 本当にそう思います。今日はありがとうございました。

(文藝春秋digitalウェビナーにて)

石井光太(いしい・こうた)

1977年東京生まれ。作家。国内外の貧困、災害、事件などをテーマに取材・執筆活動をおこなう。著書に『物乞う仏陀』『絶対貧困 世界リアル貧困学講義』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式』など多数。2021年『こどもホスピスの奇跡』で新潮ドキュメント賞を受賞。


俵 万智(たわら・まち)

1962年大阪府生まれ。歌人。早稲田大学第一文学部卒業。学生時代に、佐佐木幸綱氏の影響を受け、短歌を始める。1988年に『サラダ記念日』で現代歌人協会賞を受賞。『プーさんの鼻』『考える短歌』『牧水の恋』など、歌集・著書多数。最新歌集『未来のサイズ』で詩歌文学館賞と迢空賞を受賞。

石井光太『ルポ 誰が国語力を殺すのか』

定価 1760円(税込)
文藝春秋
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俵 万智『サラダ記念日』(河出文庫―BUNGEI Collection)

定価 528円(税込)
河出書房新社
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2022.11.12(土)
撮影=末永裕樹