この記事の連載

 当たり前のように「ブス」「デブ」「非モテ」をいじられ、そこで強烈なインパクトを残すことが成功への足がかりとされてきた「女性芸人」。しかしいま、彼女たちもジェンダー観の変化の渦中にいます。立ちはだかる壁の前で絶望しても、誰かを笑わせたいともがいた女性芸人たちのインタビューをまとめた『女芸人の壁』より、コラム「テレビは女芸人に何を求めてきたのか」をご紹介します。(全2回の2回目。1回目を読む)


 「一発屋芸人」という言葉がある。どちらかといえばネガティブな意味で使われる言葉だが、実際芸能界で一発打ち上げるのは、全く簡単なことではない。巨大な花火を咲かせた後、多くはただ静かに散っていく。散り切らずにくすぶって、そこから這い上がる有吉弘行のような芸人もいるが、ごくわずかだ。

 名もなき芸人が体を張って打ち上げる花火を、テレビは逃さない。さらに花火が大きくなるようにテレビは火薬を増やしていく。花火が大きければ大きいほど、打ち上げた芸人に負荷がかかることを承知で。いつしか花火に飽きて、誰も見上げなくなるまで。

「番組内での痛いとか熱いとかって全然いいんですよ。私がその仕事をやっていたのは、トークができないからで、ぶっちゃけ楽っちゃ楽だったんです」

 東京での芸人生活は、正味3年半。90年代に彗星のごとく現れた女性コンビ、モリマン。当時まだ過激さが残っていたバラエティ番組の、汚れ仕事はほぼ彼女たち(主にモリ夫)の独壇場だった。痛い、熱い以外にも、モリマンの存在を知らしめたのが女性芸人とは思えない下ネタである。下ネタがウケなければお尻を出し、それもダメなら最終的に陰毛まで見せた。「(芸人になるまで)お笑いをほとんど見たことがなかった」というモリマンが芸人として生きていくために取った禁じ手。これが信じられないくらいウケて、あっという間に「寝る間もないほど」の人気芸人となった。

 松本人志は『遺書』の中で「全身タイツでコントをやるにしても、胸がふくれているだけで、目がそっちにいってしまい気が散って笑えない。男はチンコを出して笑いを取れるが、女が(ピー)を出したら、立つ奴はいても、笑う奴はいない」と言った。(異論はありすぎるほどあるが)90年代バラエティの論理でいえば、そうだったのだろう。これはすなわち、男のように体を張って面白いと思える女ならば、認めてやるということだ。モリマンは幸か不幸か、苦し紛れの下ネタでその壁を突き破ってしまった。

2022.11.09(水)
文=西澤千央