働き方から消費のあり方まで、初の著書『ここじゃない世界に行きたかった』に息づく美意識が幅広い層から支持を集める文筆家・塩谷 舞さん。刊行1周年を記念して、MARUZEN&ジュンク堂梅田店で、Z世代を代表するホテルプロデューサー・龍崎翔子さんとの対談が行われました。
塩谷 今日はわが“推し”を連れて、地元の大阪に帰って来ました(笑)。京都出身の龍崎翔子ちゃんと、本日は関西人対談ですね。よろしくお願いします。
龍崎 こちらこそ。プライベートで親しくさせて頂いているのに、こうして公の場でふたりで対談をするのは初めてですよね。
塩谷 最初の接点は、いまから6年くらい前やったね。「在学しながらホテル経営! ホテル王を目指す東大女子・龍崎さんに迫る」というウェブ記事をみて衝撃を受けました。彗星のごとく現れた8歳下のホテルプロデューサーの語る夢の大きさにびっくりして、たちまち私がファンになって。
龍崎 当時はまだ在学中で19歳でした。訪れた人がその土地の文化や特色をもっと感じられるホテルをつくりたいという思いから、「petit-hotel #MELON 富良野」「HOTEL SHE, KYOTO」の2つを立ち上げて奮闘していた頃です。
塩谷 翔子ちゃんの、ホテル経営の世界に飛び込んだきっかけが面白い。まずはAirbnbで、「1組のお客さんのためにお部屋を1つ用意することならすぐできる!」とペンション経営を始めて。私や上の世代がインターネットでどうやって遊ぼうかというネットサービスの拡大期なら、翔子ちゃんの世代は、さまざまなSNSやAirbnb のようなシェアリングサービスがもう社会的なインフラとして整っている。それを軽やかに使いこなして、さまざまな社会の課題を解決しているのがすごい。今年打ち出した「産後ケアリゾート」というコンセプトも新鮮でした。
龍崎 HOTEL CAFUNEというホテルなのですが、産後の女性たち、新しい命を迎えた家族をサポートする場をつくりたかったんです。出産後、心身ともに負担度の高いなかで慌ただしく子育てを始めるんじゃなくて、いろいろな方のサポートの下で、ゆっくり家族になっていけるような場を。
塩谷 そんな家族にとって大事な時間を「ファミリーハネムーン」という言葉で表現していた響きがとてもよかった。これって、24時間体制で産後のケアをするんだよね?
龍崎 助産師さん、保育士さんがフルサポートします。お母さんのケアだけでなく、沐浴指導など、パートナーと一緒に赤ちゃんのお世話の練習もするんですよ。
塩谷 それはいいねぇ。産後ケア施設って、台湾や韓国にはカルチャーとして普通にあるって聞いたけど、日本ではまだまだメジャーじゃない。でも、欲しいって声は沢山聞こえてくる。
龍崎 たとえば、韓国で全経産婦の75%が産後ケア施設を利用しているんですが、日本では今0.88%しかなくて、ほぼゼロ。みんな親に頼らざるを得ないし、頼れる親が近くにいない方ほど本当につらい。子どもを生んでないのに、なんで、こういうのつくろうって思ったの? ってよく聞かれるんですけど、SNSでたくさんの育児をされている方々の意見が流れてくるものを丁寧に拾い集めていくうちに、この分野のニーズへの解像度が上がっていったんです。
塩谷 話を聞いてふと思い出したのが、翔子ちゃんがGENICというサイトの連載で書いていた言葉。「思い返せば、私の作るホテルはどれもユートピアがテーマだった。オアシスとか、桃源郷とか、ロードサイドモーテルとか、表現の仕方は様々だったけれど。現実は退屈で、不毛で、でも、人生は長い。人は白昼夢を見るために、逃避行する。たとえそれが作為的に作られた空想世界で、安住することはできないと知りながらも、人は夢の世界に浸ることを諦めない。(中略)でもいつだって思う、人間を人間たらしめるのは虚構を想像し創造する力なんじゃないのかと」。
切れのあるすごくよい文章なんだけど、私が本のなかで、“ここじゃない世界”にユートピアなんてないから現実を生きようと、ある意味「虚無の時代」を生きてきた実感として書いているとしたら、翔子ちゃんは、虚無の中にユートピアをいかにつくるかを考えている人だと思う。虚無が前提にある上で、そこをなんとか生き抜こうとしていく力がある。
龍崎 ありがとうございます。私が『ここじゃない世界に行きたかった』に感じたのは、「桃花源記」で宋の詩人・陶 淵明が書いていることと同じだということ。
龍崎 桃源郷の起源は、中国が戦乱で荒れ果てていた時代、人々が世界のどこかに平和で豊かな理想郷があるんじゃないかと思いを馳せたところにあります。でも「桃花源記」では、桃源郷は存在しないし、探しに行くことも、つくることも無意味である、という。そして、陶淵明は晴耕雨読を勧めるんですね。晴れている日は田畑を耕し、雨の日は本を読む――その過程で自分の心の中に桃源郷を想像することこそ人生の慰めになると謳っていて、塩谷さんと似ているなって。
塩谷 たしかに、共鳴するところが多いよね。昨年、金沢にオープンした「香林居」は、そんな中国のユートピア観からもインスピレーションを受けているホテルなんだよね? ほとんど告知してないみたいだけど……。
龍崎 はい、ホテルが消費されるスピードがあまりに速いことに違和感を持つようになって、あえて宣伝しなかったんです。最初にHOTEL SHE,をつくったころはまだホテル巡りという概念がなくて、「ライフスタイルホテル」みたいな言葉もなく、「変わったビジネスホテル」と言われていたくらい。でもここ数年、ホテル巡りは、カフェ巡りと同じような感覚で消費される文化になってきたんですよね。
塩谷 翔子ちゃんはまさに、ライフスタイルとしてホテルを選んで泊まるという文化を切り開いた人だよね。もちろん、SNSでバズるマーケティングだとか、“東大女子のプロデュースしたインスタ映えホテル”といった文脈にのりたくない、という翔子ちゃんの気持ちも知ってるから、「SNSで人気ですごい!」っていう単純な話じゃないんだけど。
龍崎 蒸溜所が併設された50年の歴史がある建物でホテルを始めたとき、それは決して数年で消費されてはいけなくて、次の50年を引き継げる場にしたいと思いました。写真のアーチとか、修道院っぽくて面白いでしょう。
先日原 研哉さんとの対談のなかで、ユーラシア大陸の東端にある日本は、90度反転すると、まるでパチンコ台の受け皿のように、イスラム、中国、インドを経由したさまざまな文化の受け皿になっている、という話が出たのですが、まさに香林居はいろいろな文化的余白を融合したホテルにしたかった。
塩谷 写真に写っている蒸溜器は、実際に使えるもの?
龍崎 白山の水と森林素材を使用して蒸溜した水で、サウナのロウリュウォーターにしたり、これで精製した精油をお部屋で使ったりしています。あとお部屋のあちこちに植物を置いてあるんですが、金沢は寒いので傷みやすく、園芸担当が頑張って手入れをしていますよ。
塩谷 わぁ、そこまで面倒をみてくれて。でも造花とは違った魅力が確実に伝わってくるし、翔子ちゃんの手掛けるホテルには、五感と美意識がひらかれるような居心地のよさがあるよね。翔子ちゃんが前に「誰かが怒られている時に入るスタッフルームは居心地が悪いし、仲のいい夫婦が過ごしている部屋はたとえ誰もその場にいなくても暖かくて心地よい」って文章を書いてたよね。
2022.04.09(土)
文=編集部