まわりの空気ばかりを気にしがちなSNS時代、日本の女性たちが置かれた状況とは? 新著『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』を上梓したイギリス在住のブレイディみかこさんと、初エッセイ集『ここじゃない世界に行きたかった』が話題の文筆家・塩谷 舞さんが語り合いました。(全2回の2回目/前編はこちら)


日本の女性たちに起こる「エンパシー搾取」

ブレイディ 「謙虚」に関していうと、たくさんの日本の女性が『ぼくイエ』に出てきたエンパシー(=意見の異なる相手を理解する知的能力)という言葉に反応してくれました。二項対立が多い世の中で、共感ベースではない他者理解の方法があるんだと刺さったみたいで。

 それは逆にいうと、こんなにもエンパシーという言葉にグッとくる人が多いということは、日本の控えめな女性たちはエンパシーを過剰なくらいに職場でも家庭でも使いまくっているからなのかもしれません。

塩谷 そうかもしれないですね。

ブレイディ 「わたしはわたし自身を生きる」というアナーキーな軸を入れておかないと、とくに感情労働をともなう場面でエンパシー搾取が起きやすい。例えばキャビンアテンダントがお客さんに何を言われてもニコニコ自分を押し殺して振る舞うように、介護や保育などケアの仕事をしている人は、とくに自分の感情よりも優先的に人のことを考えるんですね。

 家で日本の女性たちがやっている家事も感情労働も、本当にすごいものがあります。仕事の後で疲れて帰る道すがらでも「冷蔵庫のビールが少なくなってた。あの人、帰ってきたら飲みたいんだろうな」とか「ああ、あさっては遠足だからこれを用意しなきゃ」とか、常に配偶者や子どもの靴を履いている。そういう無償の感情労働を女性は多くやってきています。

 でも、謙虚に人のためにエンパシーを働かせるだけじゃ自分のことがおろそかになる。人の靴ばかり履いて歩いていたら、気付いたら自分がいたくないところにいたということもあり得ますから。

塩谷 今回の本のなかで、「エンパシーの闇落ち」に関する考察にはとくに共感しました。エンパシーを発動させている人と、エンパシーに欠けたある種サイコパス的な人がいた時、獲物と捕食者みたいな関係性になりかねない、という。実際、取材をかねていろんな人の話を聞くと、幸せそうに見えるカップルや、キラキラして見える会社の中でも、そういう関係って意外に多いんですよね。

ブレイディ 本当にその通りで、DV被害者の女性とか、最初は小さなことからはじまってエスカレートしていっても、「あの人が殴るのも苦しいからだろう」と相手にエンパシーを働かせすぎてしまって、無駄に耐え続けたり最悪なケースでは命を落としたりしてしまう。

 あるいは政治家に対しても、エンパシー体質の人ほどトランプのような強烈なキャラクターに「あの人はなぜこう言うのだろう」と、自己喪失的に心酔してしまうことがある。「絶対に自己を明け渡さない」というのがエンパシーの大事な軸ですが、とくに日本の女性は自分のことは後回しにして人の靴を履きがちです。

塩谷 「奥ゆかしくあれ、謙虚に、謙虚に」という空気を感じて育ってきた私とって、アナーキーという軸は後天的に身に付けないといけないものです(笑)。イギリスでは3歳児から「自分の権利のために立ち上がる自信と能力を示す」ことが教育的に訓練されている、と書かれているのを読んで、ぶったまげました。

2021.08.28(土)
写真=Shu Tomioka(ブレイディさんプロフィール)、杉山拓也(塩谷さんプロフィール)
構成=編集部