書くことが「ここじゃない世界」の入り口に

ブレイディ 私が保育士の時代によく言われたのが、4歳までに自分の意見を自分の言葉で言える子を育てよう、ということ。人間のクリエイティビティの目覚めというのは、人と違うことをしたいと思うことだから、そこを伸ばそうと。

 例えば保育園でみんなでお面を作るとしたら、順番から外れて突然違うところから始める子どもがいたとしても、イギリスでは「そこから始めてもいいよ」と子供を尊重する。自分の感情を出すことを大切にするから、演劇的な教育も多いんですね。いろんな表情の写真を見せて、「じゃあ、この顔をみんなでやってみよう!」とか、表現と感情をつないでいく。

 でも日本では逆に、感情は露骨に出しちゃ駄目という。「泣かなくて偉かったね」と我慢したことを褒める文化です。

塩谷 そうやって我慢を美徳として育った人間からすると、自我をはっきり出す子を「この子わがままだな」と直感的に思ってしまう部分もあって、自分の世代の価値観を下の世代に押し付けちゃいけないなと感じています。でも逆に、自我を爆発させている子に負けることなく、こちらも同じくらいしっかり主張して、対等なディスカッションが出来たら理想ですね。

 日本のしきたりや上下関係の中で真綿で首を絞められて生きてきた人たちは、その真綿を「これはこれで温かいじゃん」と、お布団のように感じている気さえするんです。でも、実はすごく重いお布団。「それって苦しいでしょ」と自我に目覚めさせられてはじめて、息が吸えていなかった事実に気づくというか。

 私はある意味“自我初心者”なところがあって、『ここじゃない世界に行きたかった』を書くなかではっきりと、他人の話でもバズるノウハウでもなく、自分自身の内面から生まれた言葉に価値があるんだと気づいた面もあります。じつはこの本を読んでくださった読者から「文章を書きはじめました」というお便りがとても多いんですよ。

 文章を書くって自我を取り戻す行為のひとつだと思うんです。瞑想とかはちょっとコツがいるけど、書くことはスマホでもすぐできます。SNSでウケることをねらうと見栄が入ってしまうけれど、とくに誰にも見せないで書く日記のようなものは自分自身の輪郭を取り戻すのにすごくいい。

ブレイディ 私も誰に見せるわけでもなく、夜中にお酒を飲みながら自分でブログにひたすら書いていた時期がありました。無料の「底辺託児所」と私が勝手に呼んでいた託児所で保育士の修業をしながら働いていたとき、親が長期無職で貧困の中で生活が荒み、明らかに育児放棄されているとわかるケースや、あるいは虐待されているんじゃないかという悲惨な子もいっぱいいて、かなり精神的にきつかったんです。目の前にいるのが子どもだから本当に辛かった。

 でもそんななかでも、ふと美しい瞬間が訪れることもあって、そんな瞬間を書くことで、自分自身を励ましていた。それがのちに『子どもたちの階級闘争』の第2部に入れた文章なんですが、書くことがセラピーになり、明日の働く糧となっていました。

塩谷 私もつらい時は、書いて書いて書きまくって、そしたらワーっと涙がこぼれてきたりする。第三者から見たらおかしな光景ですが……(笑)。いろんな他者の靴を履きすぎて自分の足が見えなくなってしまった状況の時に、書くことに救われているなと思います。

ブレイディ それは書くことによって自分の靴を作っているのかも知れないですね。自分の靴を履くことは、書くという行為そのものなのかも。

塩谷 もっというと、私にとって、書くことが、「ここじゃない世界」への扉だった。インターネットに目覚めた小学生の頃から、書くことで外との繋がりを夢見て生きてきたと思っています。

ブレイディ 「ここじゃない世界」を信じられる力って実はエンパシーの本質なんですね。それは様々な「他者の靴を履く」ことによって得られる楽天性というか直感だから。「世界はここだけじゃない。オルタナティブな世界がきっとある」と確信できる想像力。そう信じられるからこそ人は変化を起こそうとする。

塩谷 そういう夢見るパワーって絶対必要ですよね。私もそれを信じてこれからも書いていきます。今日は本当にありがとうございました!

ブレイディ こちらこそ。いつかイギリスにも遊びに来てくださいね。

(前編を読む)

ブレイディみかこ

1965年福岡県福岡市生まれ。96年から英国ブライトン在住。ライター、コラムニスト。2017年、『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』で新潮ドキュメント賞、19年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でYahoo!ニュース|本屋大賞2019年ノンフィクション本大賞、毎日出版文化賞特別賞などを受賞。他の著書に『労働者階級の反乱』『女たちのテロル』『ワイルドサイドをほっつき歩け』『ブロークン・ブリテンに聞け』などがある。

『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』

“負債道徳”、ジェンダーロール、自助の精神……現代社会の様々な思い込みを解き放つ!〈多様性の時代〉のカオスを生き抜くための本。

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塩谷 舞(しおたに・まい)

文筆家。1988年大阪・千里生まれ。京都市立芸術大学美術学部総合芸術学科卒業。ニューヨークを経て、2021年より東京を拠点に執筆活動を行う。2009年、大学時代にアートマガジン『SHAKE ART!』を創刊。2012年にCINRA入社、WEBディレクター・PRを経て、2015年に独立。会社員時代より、WEBメディアの執筆、企業の広告企画、SNSマーケティングに多く関わり、「バズライター」の異名をとる。2017年、オピニオンメディアmilieuを立ち上げ、自身の執筆活動を本格化。note定期購読マガジン『視点』にてエッセイを更新中。

『ここじゃない世界に行きたかった』

あたりまえに生きるための言葉を取り戻す。出会うべき誰かと強く惹かれあうために――。アメリカ在住のエッセイストが贈る、瑞々しいデビュー作!

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2021.08.28(土)
写真=Shu Tomioka(ブレイディさんプロフィール)、杉山拓也(塩谷さんプロフィール)
構成=編集部