大ベストセラー『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』から2年――。同書で注目された「エンパシー」(=意見の異なる相手を理解する知的能力)という言葉は日本でも広く知られるようになった。新著『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』は、エンパシーをめぐる思索を通して、自助の精神からジェンダーロールまで、私たちの社会の様々な思い込みを解き放つ鮮烈な一冊だ。イギリス在住の筆者が語る、日本を覆う「実体なき亡霊」を打破する方法とは?(全2回の1回目。後編を読む)
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エンパシーが万能薬だと思われるのはちょっとマズい
――近年、日本でも、いわゆるシンパシー(共感)ではなく、〈知的能力・スキルとしての他者理解〉エンパシーという概念に注目が集まっていることについてどう思われますか。
ブレイディ 「エンパシー」はたとえばイギリスでは何年も前から日常的に言われていて、米国のオバマ大統領とかも好んでスピーチで使っていた言葉です。日本では、「エンパシー」は「共感」と訳されることが多かったですよね。でも、多様性への理解が求められる時代の流れのなか、「共感」では解決できないもやもやした思いを抱えていたところに、自分とは異なる考えを持つ相手の立場に立って考えてみる、〈他者の靴を履いてみる〉知的な作業としてのエンパシーという概念が、新鮮に受け止められたのだと思います。
『ぼくイエ』を読んだたくさんの方がエンパシーについてSNSで好意的に言及してくださったのですが、欧米では「エンパシー論争」も起きていて、エンパシーは危険なものにもなり得るという論者も存在したので、素朴にエンパシーがすべての万能薬だと思われるのはちょっとマズいなと思っていました。だから今回の本では反エンパシー論者たちの主張も臆さずに取り上げています。
――エンパシーは多様性を促進する切り札ではないのでしょうか?
ブレイディ エンパシーを単にダイバーシティ推進の万能スキルのようなものとして捉えると本質を見誤るかもしれません。
2021.07.08(木)
文=ブレイディみかこ