平野氏の最新長篇『本心』は、2040年代を舞台に、急逝した母を最新技術で再生させた青年の物語。映像作家で、母なる概念に批評的に迫った著書『マザリング』が話題の中村氏を迎え、現代が直面する様々なテーマを掘り下げた対談の抜粋をお届けします。
(構成:辻本力 撮影:特記以外文藝春秋写真部)
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AIとVRは人間をどこまで代行できるか?
中村 平野さんの新作小説『本心』には、AI(人工知能)やVR(仮想現実)といったテクノロジーへの視点、さらなる格差の広がりといった未来予想、「母とは何か」という問いなど、非常にたくさんの論点がありますね。
母の死に打ちひしがれた主人公の朔也は、AIとVRで生前そっくりの母を再現する「バーチャル・フィギュア(VF)」の製作を依頼します。その再現された〈母〉との触れ合いの中で、彼は人間関係や社会との接続の仕方を変化させていきます。つまり、ある種の成長譚として読める。一方で、バーチャルな〈母〉の方は、VRのヘッドセットという機械の中で、孤独に、変化することなくずっといる。そして、そのことによって、人間というのはすごくドラスティックに変化する生き物だということが逆照射される。VFの〈母〉はいくら学習しても、ある程度予測範囲内の変化しか見られません。でも、生きている人間は、すごく大きな、生命の持っている変化の跳躍というものがあります。それが、無生物である〈母〉の存在を通して見えてくるのが、この小説の面白いところだと思います。
他にもVRでいろいろな人間を投影させる可能性もあったと思うのですが、死んだ母を設定した理由は何だったのでしょうか。
平野 込み入っていて説明が難しいのですが、まずこういう場合、AIで恋人を再現するみたいな設定のフィクションは珍しくないですよね。サイボーグの恋人的な。あと、僕は『ドーン』(講談社文庫)という小説の中で、亡くした子どもをAIで人工的に再現する、という設定を一度書いたことがあります。小さな子どもというのは、分人関係がまだ親と保育園程度で、ごく少ない。また喋ったり考えたりできることも限定されていて、子ども一般としての学習も、その子に固有の学習すべき情報も、比較的多くはない。それなら、AIで「その人間」のかなりの部分を、いかにも本物らしく再現することが可能じゃないかと考えたんです。こんなふうに言ったら、こんなふうに返してくるだろう、みたいなレベルでなら、だいぶ精度の高い再現が可能なのではないか、ということですね。でも、これが大人の場合だと、要素も多くて複雑になるから、なかなか難しいだろうなとはずっと思っていました。
2021.06.14(月)
文=平野 啓一郎、中村 佑子